Movable Typeというのがあってだな。


確かこの本の初版で買った記憶があるので、2003年ですから、もう14年も前のことなのですな。

「ブログ」というのがその当時盛り上がりまして、自分もこのころレンタルサーバーを借りてインストールしたりして会社のWEBサイトを作ったりしました。
そのときに思ったのは

「ホームページ作成会社の仕事が減るだろうな」
とか
「これからは高校生とかでも、このくらいのホームページを作れるようになるに違いない!
いろいろなことのIT化がガンガン進みそう」

なんてことでした。

ところがどっこい、5年たっても10年たっても、そういうふうにはならなかった。

新卒採用の学生に「Movable Typeって知ってる?」「じゃぁWord Pressは?」なんて聞いても誰も知らなかったわけですよ。

ITスキルなんていうのは、自分でホームページを作っていろいろ運用してたまに炎上したり、なにやっても503エラーになったりすることを経験するうちにある程度蓄積されるもんなんですが、そういう世の中はいまのところ来てません。

作り直したら116日だった。

会社の休日カレンダーを作り直したら年間休日日数が116日だった。

完全週休二日制で祝日がお休みの企業だと120日なのである。

そういう会社は大企業でものすごく儲かっているか、残業がものすごく多かったりするのかもしれない。

うちは会社の休日は116日だけど、有給休暇消化率を100%にしたらあと10日プラスされるので、最大年間休日日数は126日ということになる。

まぁそんなに給料がいい方の会社ではないし、もともと労働生産性の高い業種ではないので、せめて休日を増やすことで相対的に収入が増えるといいなぁという感じである。

うちは、6時にはだいたいみんな帰ってる。7時過ぎることはまずないのではなかろうか?

まぁ有給休暇を5日くらい使ってもらって、年間休日121日というのを達成できるといいなぁなんて思うのである。

 

ところで、今日は午前中、事務スタッフが気分が悪くなって早退しました。

まぁなんとか業務は回っております。

零細企業ですから人数はわりとギリギリで余裕がないかもしれないですけれども、人間生きていれば交通事故や病気も患うことがありますし、一月二月はなんとか回るもんですよ。

あと、人を少なくして業務の効率アップをするというのも大事だし、三人でしていた仕事を二人でできるようにして、残った一人は新しい仕事を作るとういうことも大切だと思うのです。

まぁアレだ、発注とか未だにFAX使っているので、アレをなんとかしたいなぁ。

 

「本当のお客様以外の批判や非難は無視」という潔さ

abemaTVを見ながら、そんなことを思ったわけです。

今回は無料のコンテンツでしたが、そのうち有料チャンネルになったりして、実際にお金を払った人以外は本当のところが伝わらなくても問題ないという覚悟みたいなものを試したのかなという感じ。

いろいろな会社の商売のあり方にも関係してくるのかなとも思いました。

本当のお客様とは誰なのか?

そこのところがハッキリと分かっていないと筋が通らなくなってしまうのであろうなと思います。

「お金払ってくれる人以外は客ではない。」

その上で

「お金さえ払えば誰でも客、というわけでもない。」ということも理解しておく必要があるように思う。

お店側もお客もフェアで対等な関係で、そこの結びつきが強いほど、産まれる価値も高くなっていくのだろうな。

とはいえ、そういうのもすべて需要と供給のバランスの上に成り立っているので、その商品やサービスなりのそのバランスがどのあたりで重心を取っているのかにも、その関係性というのは左右されるのだろうな。

類は友を呼ぶ

たぶん3人ぐらいは
「自分ならもっとうまくやれる(やってる)。」
そして30人ぐらいは
「自分も殺してほしい」
って思ってる人がいるんじゃないかなと思う。

これが特殊な事件であることはよくわかるけど
たぶん同じような事件は昔からあったし、
(たとえばヘブンズ・ゲートの事件とか)
これからも続いていくと思う。

それこそ、安いアパートの一室ではなく、森の中の洋館だったり、ホラー映画のノリでヤバイやつとか絶対ある。(ような気がする)
ITがもたらしたのはコミュニケーション効率なんだから、
需要があって供給があればそれはそれで結びつきやすい。
たぶん、同じ事件というか事例は、今も現在進行形で進んでいると自分は考えてしまう。

個人的には、一対一は「最小の宗教コミュニティ」だと思うのだ。
もしかしたら名前のない宗教未満のコミュニティーがどんどん生まれているのかもしれない。

宗教や信仰も細分化しカスタマイズされていくのが今の時代なのだ。

TWITTER社やfACEBOOK社は今回の事件などが取る方法はいくつかある。
ユーザー一人ひとりの投稿を検索、データ化して、それこそ今流行りのAIを利用したりして発言の傾向からアカウントを凍結したりとか、そういうことも増えていくと思う。
「社会的な使命として我が社は自殺幇助・殺人行為を助長するような発言アカウントはみとめません」
みたいな、「死ね」とか「殺す」とか、そういう単語が出てくるとアカウントが凍結されるのはどんどん出て来る。
「蚊を殺した」で凍結みたいな誤爆もしばらくはあるだろうけれど、そのあたりは改善が進んでいくのだろう。

自分の身近な人が、そういう誘蛾灯のような人物に近寄らないようにするためには、どうするかを考えたほうがいい。
でもうつ気味の人からネットを取り上げればいいとか、そういう単純な話でもないと思う。
でも、類は共を呼ぶというように、ネットっていうのは、その時に持っている感情とか思想を強化していく作用が強い。
個人的には、しないほうがいいし、自分や自分の家族がうつ気味になったらネット環境を遠ざけると思う。

誕生日

先日は長女の誕生日でした。

サプライズとか友達を呼んでパーティーとか、そういうのはなく、まぁケーキを食べるくらいの地味な誕生日でした。

ケーキも運び方が悪かったのか、形が崩れてしまいインスタ映えもしていませんよ。

自分の実家はあまり誕生日だとかそういう記念日的なことをしないというか、クリスマスとかもそんなになかったような気がします。

小学生の頃は一応なんかちょろっとしていたような気がしますが、中学校・高校のころは

「ああ、そういえば昨日誕生日やったなぁ」とそういう感じの家庭でした。

だからといって虐待とかネグレクトだったような印象はありません。

誕生日を祝うという発想自体が薄かったような気がします。

あと、誕生日だからめでたいという意識がそんなになかった。

「そういうのなんかめんどう」という意識は今でもあって、その証拠というかSNSでも自分の誕生日は非公開にしてます。

FaceBookなんか見てるとほぼ毎日のようにだれかの誕生日なんですけど、

ほとんどスルー、おめでとうとかコメントも入れないし、最近はイイねもつけていないという。

それでなにか困るのかっていうと別に困らない。

まぁ、そんなに社交的じゃないです。

経営者としては多分マイナスなんでしょう。

でも、苦手なんですよ。

単発イベントは消費なんだろうな

この土日は地域で行われたイベントでうどんコーナーの手伝いをした。

うどん一杯250円である。

600杯分仕入れて200杯近く余ってしまった。

ちょうど台風22号が接近していて、大雨と風も強かったので、いつもの半分もお客さんが来てなかったように思う。

まぁ、販売者の給料はないので、ギリギリ赤字ではなかったのかもしれないけれども、利益も当然出ていないのだろうなと思う。

こういううどんコーナーとか、夏祭りなんかで模擬店を出すと、

わりと儲かった気分になる。

なんでかっていうと人件費が発生していないのと、税金が発生しないからだ。

だから、こういう経験だけの人がお店を開いたりすると大抵失敗する。
商売の肝は人件費だ。

企業の機能として「顧客の創造」と「雇用の創造」がある。

そんでもって、この二つを結びつけるのが利益だ。

利益がないところには「顧客」も「雇用」も生まれない。

その二つを産まない事業は、おままごとといっしょなんだと思う。

きっかり設けるためには利益を出す。

人を雇用したら、利益のない事業は続いていかない。

あと、こういう一過性のイベントで『自社の商売がやれなくなる』というような商売は、これからの時代生き残るのはちょっと厳しくなると思う。

利益って本当に大事だと思う。

「利益とは経営者の覚悟を数値化したもの」という考え方がある。

「他社とおなじ品目の商品であるなら、他社の倍の価格でお客様に購買していく方法を考える。そこで設定される販売価格はその企業経営者の覚悟だ。

「1000円のものを2000円で買ってもらう、そのためには○○しなければいけない!だから○○するのだ!」

そういう覚悟をもってがんばっていきたい。

問う、想像する

もしあなたが絶体絶命の状況になって、残り時間が1時間あるとしたら、どんなことをしますか?

アインシュタインは言いました。

「最初の55分は適切な質問を探すのについやすだろう。」

そのくらい「質問を探す」「問を立てる」ことは重要だと思います。

自分は小説やマンガの中でもSF(サイエンス・フィクション)が好きです。

ハヤカワ文庫にはよくお世話になっています。

SFマンガには、普段の生活をしていたら、まず立てることのないような「問い」が溢れています。

今回紹介するのは清水玲子さんの「ミルキーウェイ」という少女漫画です。

ジャックとエレナという二人の人形ロボットが主人公の物語は、独特の問いを投げかけてきます。

「ロボットに感情があるとしたら人間との違いは何なのか?」

「宇宙にたった一人残されても永遠に生きられるロボットに伴侶は必要なのか?」

「『本物の恋愛』は人間にしかできないのか?」

「170年後の未来から自分の人生を見られるとしたら?」

200年300年というスパンで物事考えてみる。

宗教観や死生観の違う世界から物事を考えてみる。

例えば「人肉を食べて死者を弔う、食葬がベースの世界で生きることとはどういうことなのか?」

そういう特殊な世界に思考を置くことで、自分の「問いのはば」が広がる。

そういう実感があります。

ユリゴコロ

映画がみたいなーと思ったので、先に小説を購入して読みましたよ。

うーむ、面白かったです。

映画になってどういうふうに演出されるのだろうか?

小説が映画化されて場合、わりとがっかりすることが多かったりするのですが、

まったく違うアプローチで映画化されていると、それはそれで面白いし、好きなのです。

過去原作を読んだあと見た、あるいは見たあと原作を読んだときに、どっちも面白かった作品はいくつもあります。

漂流街


まったく別物と言ってもいいのですが、どちらも良かったです。

愛と誠

わりと酷評されていたのですが、自分はものすごく楽しめました。演出がぶっ飛んでて面白かった。

残された人々

これは未来少年コナンの原作です。
アニメ版は原作を超えすぎていると思います。


Blu-rayちょっと欲しいかもしれん。

映画にとって大切なのは自分は脚本だと思っています。

脚本家で映画を選ぶと結構失敗しないような気がします。

そういえばこの前見た「メッセージ」も原作を読んでみました。
あの映画の原作はどんな感じなのか興味深かったのです。

原作は短編小説でした。それをあの映画の内容まで広げるのはすごいなぁと思いました。

脚本はエリック・ハイセラー、今度ハリウッド版「君の名は」の脚本を書くみたいなので楽しみにしております。

脚本って本当に大事です。

自分の人生も脚本にそって演出されていて、その脚本を書くのは自分自身なのだなぁと思う今日このごろです。

山口四区

明日は衆議院の投票日です。

自分は山口四区に投票券があります。

明日投票しに行く予定です。

ちなみに山口4区の立候補者はこんな感じです。

定数は1ですから当選する確率は1/5です。

投票するときは一次ソースに触れるようにする(本人の講演を聞くとか直接話すとか、それができないときは本や会報などの本人が書いた(あるいは編纂した文章を読む。)

二次情報の重要度は2パーセントくらい。ちなみにマスメディアや雑誌などは二次情報になります。

○○らしいよ、というような噂話はスルー。

そういう姿勢で誰に投票するか判断します。

あと、言葉があらっぽかったり、汚かったり、品がないのは、ちょっとどうかなぁと考えているので、

人の名前を呼び捨てにしたり、

悪態をついたり

そういう人には投票しません。

さて台風が来る前に投票投票。

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