ソロモンの偽証

映画「ソロモンの偽証」を見た。

原作の小説は未読なんですが、面白かったです。原作も読んでみたくなった。

どんなストーリーなのか前知識ゼロで見たので、そこも良かったのかなと思います。

ちょっと変わった法廷ドラマという感じのミステリー作品というよりは青春映画だなぁと思いました。

前後編合わせて4時間を超える長編映画ですが、時間の長さを感じさせない展開で楽しめました。

ですから謎解きのような展開を期待している人にはちょっと肩透かしをくう内容なのかもしれません。

中学生にとっての生きる意味とかそういうことをいろいろ考えてしまいましたよ。

自分の娘も、この映画に出てくる子どもたちと同じ年齢なのですが、幼いようでも実際はたぶんいろいろなことを考えているのだろうなあと思います。

人は生きていく上で白黒ハッキリさせないといけないことがでてくる。

それをグレーなままにしておくことが「大人になる」ということなのかもしれないのだが、

ある時点で白黒つける、ケジメがついていないと、あとの人生でなにか決断を迫られたときに、つねに自信が持てなくなってしまうことはあるような気がする。

「あのときああしたらよかった」という後悔の念がつよければ、自分の行動になんらかの影響を与えるのだけれぼ

「あのときああしたらよかった、かもしれないけど、まぁべつにしなくてもよかったかもしれない」

なんてまま大人になってしまうと、いつまでたっても決断のできない人間になってしまうのだ。

納得できないことを受け入れる器量だ。

けれどもその器量を大きくする、人間の器を大きくしようと思ったら、

白黒きっちりつけて、前に進んで行くしかないのだろうな、とそんなことを思い出す。

「まぁいいか」

「別にたいした問題じゃない」

そういって慰めた過去から逃れられないまま大人になるのは、それはそれで辛いことなのだ。

その辛さを見つめた上で

偽証は怖い

とも思う。

でも、真実の証言も大切。

力を持つのは結局本当のことだと思うし、嘘は隠せない、悪さはごまかせない世の中になっていくのだと思う。

#metooのツイートを見ながら、
なんというか、世の中変わり始めたなぁと思う。

維新150周年

150年かけて増えてきた人口が150年かけてもとにもどるということなんだろうなーと単純にそう思うだけなんですよ。

ただ明治維新の頃とか社会の年齢構成は全然違って、それはもうお年寄りばかりになってるのか?っていうと
そうでもないという気がする。

50年くらい未来までの人口推計はかなり正確らしいのだが、100年になると不確定要素が多すぎて信憑性がかなり低くなる。

例えば、お隣中国の深センなんて、この十数年でものすごく人口がふえているのだが、そういうことが50年後の日本で起こらないとは限らない。

ただ、50年後の人口推計については、かなり確実な未来なので、今後2~30年後くらいまでは、その数字を基本と言うか土台として人生計画を立てる必要があるのは間違いないと思う。

国土交通省のグラフはかなり正確なものだけれども、2050年以降は推計に巾があるようにみえる。

もちろんものすごい災害や日本沈没のようなインシデントがあるかもしれないけれど、そういうことは考えても仕方がない。

とりあえず、今中学生の娘が自分の今の年齢になる35年後はけっこうリアルな情報を得ていると思うので、とりあえず今は今できることをやっていくのが正解なのだ。

ただ世界全体の人口についてはアジア・アフリカで今後もジャンジャン増え続けるのでどうなんだろう大丈夫なんかな、とも思う。

プラネテスを観た


アマゾンビデオでプライム指定が入っていたので、イッキ見しました。

プラネテスの舞台は2075年ですから今から約60年ほどの未来、
作品の公開は2003年ですから今から15年ほど前になります。
そして原作のスタートは1999年のことでした。
パトレイバーでもそうなんですけれども、当時なかったものはそのころの未来予想にはなくて、
携帯電話(パトレイバー)とか薄型テレビ(ブレードランナー2049)とかSNS(プラテネス)はそれぞれの未来に出てきません。

今からだったらドローンが未来世界でどのように扱われるかなんですけれども、ドローン的なものは、1990年代のSFでもけっこう出ていたような気がします。

これはドローンそのものがラジコン飛行機であったり無人偵察機であったりとその概念自体が以前から存在していたということですね。

8Kや立体映像などのテクノロジが今より一般化するとまたちがった概念が産まれるかもしれませんな。

映画「ブレインストーム」みたいな脳に直接イメージを送信するような装置とか出てくるとまた違うかもしれませんし、小説のオルタード・カーボンのような人間の魂がデータ化されてる未来にはまた違った概念が生まれてるかもしれません。

いずれにしろ20年後とかの未来においてテクノロジーというのは、「まったく違う普通」の上に成立していくのだろうなと思います。

まぁその上で変わらない原則のようなものはあり続けるのでしょうけれど。

echo dotが来た。

スマートスピーカーというやつですね。

一番安いので基本的な機能は全部使えるみたいで、値段の違いは音質の違いくらいしかないとの判断で、置き場所も考えるとちっこいほうがいいかなぁということで、これにしましたよ。

まだ、箱からだしてません。

今夜あたりセッティングしてみようと思ってます。

それはそれとして、先日やっと「ブレードランナー2049」を見に行きました。

頭の中ではずっと前作のサントラが流れておりました。

でたまたまなんですけど、邦画の「クリーピー 偽りの隣人」を直前に見てしまったので、このシーン見るとなんというか、サイコパスなのは人間なのかレプリカントなのかよくわからなくなってしまいましたよ。

映画の中でジョイというAIのホログラフな女の子が出てくるのですが(これがめちゃカワイイ)
「アレクサもあと30年くらいすると、こうなるのかなぁ」
なんてことを思ったりしました。

前作は舞台が2019年の11月なので、二年後の世界ですよ。

実際にはレプリカントは世の中にはいませんし、空飛ぶ自動車も実用化されていないので、現実は追いつけなかったのは残念ですが、音声入力や音声検索については2年後には追い付けそうな気がします。

あと立体英道についてはアスカネットさんが頑張ってらっしゃるので来年は実物をぜひ見に行きたいと思っております。

辛くて美味しい

先週、ちょっと韓国は釜山まで行ってきました。

料理の味付けで違うところは、やたらと辛いところですな。

辛いものは好きなんですけれども、大抵の料理にトンガラシが入っているのです。

この辛さのせいで、食事が合わないという人の話もよく聞きます。

トンガラシに入っているカプサイシンはダイエットにもいいという話。

確かに辛いものを口にすると汗が出てきますし、たしかに痩せて行けそうな感じ。

外食産業で海外進出するときは、なんだかんだで、現地の舌に合わせて味付けを変えることが必要と聞いたことがあります。

ローカライズがうまくいくと成功するらしいです。

 

韓国のロッテリアとかやっぱり味付けがちょっと違いますし。

 

でも自分は日本の味になれているので

やはり日本のもののほうが好きだったりします。

味覚というのは育った土地の影響がやはり強いと思います。

 

でも、いろいろな国に合わせたチェーン店の食べ物を食べるというのも旅行の醍醐味ですな。

 

日本のマクドナルドでもクレジットカード払いが今月の20日からできるようになってます。

 

けっこういろんな店でカード決済ができるので、これは日本でも進んでほしいなぁと思います。

Movable Typeというのがあってだな。


確かこの本の初版で買った記憶があるので、2003年ですから、もう14年も前のことなのですな。

「ブログ」というのがその当時盛り上がりまして、自分もこのころレンタルサーバーを借りてインストールしたりして会社のWEBサイトを作ったりしました。
そのときに思ったのは

「ホームページ作成会社の仕事が減るだろうな」
とか
「これからは高校生とかでも、このくらいのホームページを作れるようになるに違いない!
いろいろなことのIT化がガンガン進みそう」

なんてことでした。

ところがどっこい、5年たっても10年たっても、そういうふうにはならなかった。

新卒採用の学生に「Movable Typeって知ってる?」「じゃぁWord Pressは?」なんて聞いても誰も知らなかったわけですよ。

ITスキルなんていうのは、自分でホームページを作っていろいろ運用してたまに炎上したり、なにやっても503エラーになったりすることを経験するうちにある程度蓄積されるもんなんですが、そういう世の中はいまのところ来てません。

類は友を呼ぶ

たぶん3人ぐらいは
「自分ならもっとうまくやれる(やってる)。」
そして30人ぐらいは
「自分も殺してほしい」
って思ってる人がいるんじゃないかなと思う。

これが特殊な事件であることはよくわかるけど
たぶん同じような事件は昔からあったし、
(たとえばヘブンズ・ゲートの事件とか)
これからも続いていくと思う。

それこそ、安いアパートの一室ではなく、森の中の洋館だったり、ホラー映画のノリでヤバイやつとか絶対ある。(ような気がする)
ITがもたらしたのはコミュニケーション効率なんだから、
需要があって供給があればそれはそれで結びつきやすい。
たぶん、同じ事件というか事例は、今も現在進行形で進んでいると自分は考えてしまう。

個人的には、一対一は「最小の宗教コミュニティ」だと思うのだ。
もしかしたら名前のない宗教未満のコミュニティーがどんどん生まれているのかもしれない。

宗教や信仰も細分化しカスタマイズされていくのが今の時代なのだ。

TWITTER社やfACEBOOK社は今回の事件などが取る方法はいくつかある。
ユーザー一人ひとりの投稿を検索、データ化して、それこそ今流行りのAIを利用したりして発言の傾向からアカウントを凍結したりとか、そういうことも増えていくと思う。
「社会的な使命として我が社は自殺幇助・殺人行為を助長するような発言アカウントはみとめません」
みたいな、「死ね」とか「殺す」とか、そういう単語が出てくるとアカウントが凍結されるのはどんどん出て来る。
「蚊を殺した」で凍結みたいな誤爆もしばらくはあるだろうけれど、そのあたりは改善が進んでいくのだろう。

自分の身近な人が、そういう誘蛾灯のような人物に近寄らないようにするためには、どうするかを考えたほうがいい。
でもうつ気味の人からネットを取り上げればいいとか、そういう単純な話でもないと思う。
でも、類は共を呼ぶというように、ネットっていうのは、その時に持っている感情とか思想を強化していく作用が強い。
個人的には、しないほうがいいし、自分や自分の家族がうつ気味になったらネット環境を遠ざけると思う。

単発イベントは消費なんだろうな

この土日は地域で行われたイベントでうどんコーナーの手伝いをした。

うどん一杯250円である。

600杯分仕入れて200杯近く余ってしまった。

ちょうど台風22号が接近していて、大雨と風も強かったので、いつもの半分もお客さんが来てなかったように思う。

まぁ、販売者の給料はないので、ギリギリ赤字ではなかったのかもしれないけれども、利益も当然出ていないのだろうなと思う。

こういううどんコーナーとか、夏祭りなんかで模擬店を出すと、

わりと儲かった気分になる。

なんでかっていうと人件費が発生していないのと、税金が発生しないからだ。

だから、こういう経験だけの人がお店を開いたりすると大抵失敗する。
商売の肝は人件費だ。

企業の機能として「顧客の創造」と「雇用の創造」がある。

そんでもって、この二つを結びつけるのが利益だ。

利益がないところには「顧客」も「雇用」も生まれない。

その二つを産まない事業は、おままごとといっしょなんだと思う。

きっかり設けるためには利益を出す。

人を雇用したら、利益のない事業は続いていかない。

あと、こういう一過性のイベントで『自社の商売がやれなくなる』というような商売は、これからの時代生き残るのはちょっと厳しくなると思う。

利益って本当に大事だと思う。

「利益とは経営者の覚悟を数値化したもの」という考え方がある。

「他社とおなじ品目の商品であるなら、他社の倍の価格でお客様に購買していく方法を考える。そこで設定される販売価格はその企業経営者の覚悟だ。

「1000円のものを2000円で買ってもらう、そのためには○○しなければいけない!だから○○するのだ!」

そういう覚悟をもってがんばっていきたい。

問う、想像する

もしあなたが絶体絶命の状況になって、残り時間が1時間あるとしたら、どんなことをしますか?

アインシュタインは言いました。

「最初の55分は適切な質問を探すのについやすだろう。」

そのくらい「質問を探す」「問を立てる」ことは重要だと思います。

自分は小説やマンガの中でもSF(サイエンス・フィクション)が好きです。

ハヤカワ文庫にはよくお世話になっています。

SFマンガには、普段の生活をしていたら、まず立てることのないような「問い」が溢れています。

今回紹介するのは清水玲子さんの「ミルキーウェイ」という少女漫画です。

ジャックとエレナという二人の人形ロボットが主人公の物語は、独特の問いを投げかけてきます。

「ロボットに感情があるとしたら人間との違いは何なのか?」

「宇宙にたった一人残されても永遠に生きられるロボットに伴侶は必要なのか?」

「『本物の恋愛』は人間にしかできないのか?」

「170年後の未来から自分の人生を見られるとしたら?」

200年300年というスパンで物事考えてみる。

宗教観や死生観の違う世界から物事を考えてみる。

例えば「人肉を食べて死者を弔う、食葬がベースの世界で生きることとはどういうことなのか?」

そういう特殊な世界に思考を置くことで、自分の「問いのはば」が広がる。

そういう実感があります。

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