会社引越の話

Twitterのやたら長い自分のアカウント名にある通り、ここ何年か前から「事務所引越したい」「事務所引越したい」言ってたわけですが、ここに来て、なんといいますかご縁もありまして、いよいよよさそうな物件が見つかった感じですよ。

いまから実際に使えるのかとか、
改築が予算内でできそうなのかとか
引越したあと、今の事務所の建物は?土地は?売るのか?賃貸に出すのか?
資金繰りとかどうしましょうか?
いい感じの補助金とか助成金とかあるのかな?

いろいろと相談したりしていこうとか悩んだりと言うかぼんやり考えたり思いついたりしたことを書き出して整理したりしなくてはなりませんな、と考えたりしています。

 

秋分の日はなぜ祝日なのか

法律で決まっているから、っていうのはあまりに身も蓋もないですよね。

お墓参りをしたりするために祝日になっているっぽいのですが、その昔、秋季皇霊祭と呼ばれていた時期があって、戦後まぁ大人の事情で秋分の日という名前になったということです。

ちなみに春分の日は春季皇霊祭といってまして、なんというか農業で春は五穀豊穣を願う、秋は実りの収穫に感謝するというような宗教行事を行う側面があったということですな。

なんだかんだ言っても暦というのは農作物の育成のためにもともと作られたものですから、まずは農業的な行事ありきでスケジュールが決められているんだろうなということですよ。

日曜日があるのも「まぁ週に一度くらいは農作業はサボっていいんじゃね?」というのがもともとの取り決めだったんじゃないのかなと思います(個人的考え)

ちなみに皇霊祭を始めとして、日本の祭儀にはいろいろあるんですな。

宮内庁のHPにも紹介されております。

それによると、皇霊祭というのと神殿祭というのが行われるのですな。

公式の動画は見つけられませんでした。

ちゃんとした映像作家の方に祭儀の様子とか英語字幕付きで配信したらカッコいいかもしれないと思ったりしました。

宮内庁公式チャンネルとかあったら見たいものです。

GOD’S POCKET in 2025

ゴッズポケットに戻ったミッキーは84歳。

結局レオンが死んだあとすぐに、妻のジニーとは離婚した。

痴呆が進んだジニーは地域の保護施設でレオンが作家のリチャードとの間にできた子どもだったと作り話をしている。

ミッキーもすっかりボケてしまって、自分の名前すらおぼつかない。
ただ、この年まで長生きしているのは、なにかの罰かもしれないと思っている。

2025年のゴッズポケットは、相変わらず犯罪者が多いが、人口は1980年代の1/3まで減少していて、住民の平均年齢は58歳になっている。
若者はいるにはいるが、地元に残っているのは男はヤク中のろくでなし女は売春婦しかいない。

地域の知的水準は低いままで、ITリテラシーは低いままだ。
動画共有サイトやSNSをダラダラと消化するだけで、スマホじゃ生産性とは無縁のツールになっている。
使用料金が高すぎて結局は使わなくなってしまうのだ。

インターネットが社会問題を解決するというのは、この町で生きていく彼らにとっては幻想というよりむしろ戯言に近い。
「うまいことを言って俺らを利用しようと思っているんだろ?」

VRもXRもコストが高すぎる。毎月の使用量が30ドルならパブでビールを飲むほうがまし。

300ドルあるなら馬券を買う。

確実に言えるのは、ゴッズポケットは40年前よりも確実に悪くなっている。
それだけは間違いない。

台風14号

台風はへんちくりんなコースをたどったものの、下関には大した災害もありませんでした。

とはいえ、夕方から何時間か(3時間くらい?)関門橋と関門トンネルが同時に通行止めになってしまうという地獄。

夕方帰宅途中の人が渋滞でうんざりするという災難に見舞われ、やはり第2関門橋は必要であろうという地元民の気持ちが再燃したのではないかと思われます。

こういう台風のときに限って、やはり人は集中力がとぎれるというか、イライラして運転が荒くなると言うか、そのようなことが原因で交通事故もふえるのでありましょう。

災害が近づいているときこそ平常心よりもさらに冷静な気持ちになって落ち着いて行動するのが大事ですな。

そんでもって、もし渋滞に巻き込まれたとしたら、とりあえず車を駐車場に止めて一眠りするとか、本を読むとか、メールをチェックするとかして、有意義な時間を過ごせるようにしたいものです。

自動車の運転というのは、やはり時間の浪費であって、投資的な使い方というのは難しいのだと思います。

来年には渋滞時自動運転の可能なLEVEL3の自動運転自動車が市場に投入されるっぽいので期待しています。
でもさぁ、そのオプションがだいたい400万円くらいっていうのは、どうなんでしょうか?
400万円っていうと、自動車が買えますよ。軽自動車だったら3台買える値段じゃないですか。個人的には渋滞に巻き込まれるような時間帯には基本運転していないので、ちょっとコストバランスが悪いような気がする。

自動車通勤とかする必要がなくなるかもしれない時代に自動運転というのはホンマに必要なんでしょうか?

コスト的に普通自動車と自動運転車のコストの差ってどのくらいまでなら許容範囲なんだろうか?

400万円だったら、免許証持ってる大学生に運転アルバイトさせたほうが絶対的にコスパがいいじゃないですか。

時給3000円くらい出せば学生のバイトとか見つかると思う。
時給1万円だったら間違いなく見つかると思うよ。

Uber Driverとかいって、「車を運転してくれる人」と「車を運転してほしい人」を結びつけるウェブサービスがあったっていいのにないのは、やはりビジネスモデルとしてなにか欠陥があるのかもしれない。

 

東京卍リベンジャーズ

子どもに本ならなんでも買ってあげるつもりでいるのだが、東京卍リベンジャーズ発売中の23巻全部とかっていうのは、お父さんのお小遣いを圧迫しすぎなのでそれは許してほしい。
限度っていうものがあるじゃないの。

昨日の夕方にコロナのワクチン2回めを接種。

朝は平熱だったんだけれども、午後4時30分現在、37.5℃と微熱。
少し頭がぼーっとする感じ。
台風14号も接近してきて風の音が怖くなってきました。
今日は5時になったら速攻で帰宅しようと思います。

FAXをなんとかしたいけれども、クラウド化してもそれはDXではないのだ

うちの会社のFAXは年季物で多分20年くらい使っている気がする。
注文書のそうじゅしんだとか、お客様からのメモの注文書が送られてきたりとか、地図が送られてきたりに使われている。

最近ではLINEの写真とか位置情報とかで連絡が来ることが増えてきた。

もしかしたらFAXはなくても行けるのかもしれない。

「FAX機がこわれたのでFAXでのやり取りはやめました。」というのも戦略としてはありなのかもしれない。

ないならないでなんとかするような気もしないではない。

そんなわけで今週は朝礼はナシで

そんなわけで、今朝の朝礼はやらなかった。世間話と言うか雑談っぽく話したり、あとはTeamsに流してみたりしました。

でもあんまりTeamsでチャットしたりとかはほぼしていないので、これを期に情報共有にもっと使おうよ、という機運を高めていくのもそれはそれでありかもしれない。

そもそも会議=Meetingの第一の目的というのはなんだかんだいっても情報の共有なわけで、掲示板でも交換日記でもなんでもいいので、情報が共有できるのであれば、何を使ってもいいのである。

とりあえず一日というか二・三日たってから社員さんに、なんか違いがあるかどうか聞いてみよう。

今日は、やらないことで3分くらい朝の時間に余裕があったくらいなので、もしかしたら朝の貴重な時間を3分間✕人数分とかんがえると生み出した時間というのはけっこう価値があるのかもしれない。

ほら、言うじゃないですか「朝の30分は、午後からの3時間に相当する」みたいなこと、言わない?

時短勤務と朝礼

うちの会社は社員が全員で8人なんだけれども、うち3名は育児の関係で時短勤務なので朝7時45分から始まる朝礼には出ていない。
そんでもって、今週のように一人が有給休暇になっていると、朝礼の時間にいるのは4人、さらに、平日休みの人が一人いるので、実際に朝礼の時刻に出社しているのは3人ということになる。
ちなみに定時は8時から業務開始なのだ。

8人のうち3人しか出席できないとなると、やはり朝礼そのものの意味を考えるとあまりやる意味がないような気がする。

以前は当番で持ち回りだったんだけれども育児による時短勤務をする人が増えてくると朝礼当番をできる人間が減ってしまい、当番が偏ってしまったり、結局は社長の自分が朝礼当番をやることが多くなってしまうのだな。

うーむ、いっそ朝礼をしないというのもありかもしれないのだけれども、一日に一回くらいは経営理念を唱和するのも大事な気がする。

ものすごい朝礼をしているとか、自己研鑽的というか研修セミナーっぽい朝礼をしていて、凄い会社っぽく見える企業でも、実際は労使抗争がしょっちゅう拗れていたりとか社員の離職率がメッチャ高かったり、HPとか社長のブログを見るとすごく良さそうでも、実際はブラック経営だったりするもんですよ、みたいなことを知り合いの弁護士さんがお話していたのを聞いたことがある。

とりあえず気軽に雑談とか、言いたいことを言い合えるような関係にすることができるのであれば、どういうやり方でもいいのかもしれない。

あと朝礼をしている最中に引き取りのお客さんが来たり、注文の電話が入ったりして、そいういうのもほぼ毎日だったりするのだ。

かといってじゃぁ朝礼のためだけに1時間早く出社するというのは本末転倒というかあまりに無駄が多いような気がする。

なんというかTeamsとかチャットツールを使うのもなんというか違う感じもするのだ。やはり面と向かっての会話というか、全員が集まってやるからこその綱領の唱和というかモチベーションを高めるというか、そういうのが、労働集約的な職場というか建築現場的なというか、そういう業種としてはあったほうがいいのかなぁと思うのではある。

ただ、実際に時短出勤とかにしているとみんなが一斉に集まるというんは、調整すれば月に2・3回は可能だとしても、毎日はやはり難しいのである、というか、両立はできないのだ。

あと、やりがいの醸し出しとか、やる気の燃料投下とか、そういうのは朝礼に求めていないというか、求めるのは違うのかなーという考えも最近は自分の中にはあって、なんというかやりがい搾取になってしまうような雇用形態というのは、なんか違うんではないかなと、そういう考え方のほうが強くなってきているのだ。

というか、劇場系朝礼というか◯◯朝礼とかよくテレビでやってる元気だしていきましょう!うおりゃー!みたいな朝礼をしている会社の商品というのは、なんというか押しが強かったりするというか押し売り的なツヨツヨセールスな性質の強い商品であって、
自分だったら「あー、なんかこの会社の商品は欲しくないなー、というか縁がない。」と感じるのである。
やたらめったら声がでかくて元気な居酒屋とか、怪しい不動産投資だったり、先物商品とか、よくわかんない健康食品とか、そういうのを売っている会社が、なんというか◯◯朝礼とかでケーブルテレビなんかの会社紹介番組なんかで見かけたりするのを見ると、うーん、こういう朝礼ってうちにの会社のスタイルには合わないよなーと考えたりするのだ。

営業かけてセールストークかけて値交渉してバンバン売りまくるぜ!というようなビジネスモデルを考えていない以上、そういうセールスありきのような朝礼というのは、ちと違うと考えているのである。

それでも、毎日「今日はこういう感じで雨も強いので、車の運転には気をつけようね」とか「なんだかコロナとか流行っているので早めにワクチンの接種しておこうね、気分が悪くなったら遠慮なくお休みしていいですよ。そのときは追加の有給病気休暇になりますから安心してね」とまぁ、そういう話はしたほうがいいので、ゆるい感じの朝礼というのは、続けたほうがいいのかもしれない。

ミッドサマー

ネトフリで配信が始まったので、早速鑑賞しました。
へレディタリーと並ぶ傑作らしく、自分のTwitterのタイムラインではなかなか評判がよく興味があったのです。
近所の映画館でも公開されていたので見に行くつもりだったのですが、あっという間に公開終了してしまったので残念に思っていたのです。

なんというか、トラウマを抱えたときに、思いもよらなかった価値観とか考え方によって救われたりすると人は案外簡単に洗脳状態になってしまうのかなと思います。
とはいえ、ほぼどのようなカルトであっても過去の思想の焼き直しだったりすると思っています。映画、特にホラー映画だと、とことん異常な考え方の人間が出てきたり不条理や悪意が表現されているので、なんというか耐性ができると思うのです。

「へレディタリー」「ミッドサマー」「マーターズ」「エンジェルダスト」「けものがれ、俺らの猿と」「ホステル」「フィンランド式残酷ショッピングツアー」「レイキャヴィク・ホエール・ウォッチング・マサカー」とかの映画あと漫画なんかで清水玲子さんの「秘密」とか「ジャック&エレナシリーズ」とか、あとは古典とか思想書や哲学書なんかも一通り読んでおくだけで宗教のありがたい話の殆どは「はぁそうですか」で終わってしまうので、なんというか本を読まないといかんなぁと、この年になっても思うのです。

 

 

オーディブリながらできるのか

オーディブル(Audible)はアマゾンのオーディオブックサービスで、劉 慈欣の三体シリーズのⅠⅡはオーディブルで鑑賞した。
あと「本好きのシリーズ」は朗読をされる井口 裕香さんがものすごくうまく、聞いていて感心するばかりなのだ。他にも聴き放題のポッドキャストなどもあって、配達中、車を運転しているときは常に聞いているのである。以前はトラックについているAMラジオを聞き流していたのだけれど、今はそんな感じで配達するのもちょっとした楽しみな時間となっているのだ。

世の中の仕事というか作業にはオーディブルのようなものを聞きながらできる作業とそうでないものとあるように思う。

例えば、自分がオーディブルを聞くときというのは「オーディブルだけを聞く」という使い方はしていない。
運転をしながら聞くという、いわゆる「ながら聞き」をするのがメインで、途中気になったり、覚えておきたいことがあれば、車を一旦停止してメモしたり音声メモをしたりというい使い方なのだ。
他にも
部屋の掃除をしながら
庭の芝刈りをしながら
庭の草むしりをしながら
聞くことが多い。

そう考えると「オーディブルを聞きながらできる仕事(作業)」とそうでない作業があるのだと思う。

例えば、今このブログを書いているのだけれども、ブログを書いたりあるいは姉子商会ニュースを書くときは、オーディブルはもちろん音楽を聞きながらとか、そういう作業はできない。できなくはないかもしれないけれども、気が散って効率がものすごく落ちてしまう。

「ながら作業」ができる仕事というのは、ほぼ無意識にできる作業であり、慣れてしまえば多分誰にでもできるのだろう。
AIやロボットによる自動化もできやすそうな気がする。

一方、聞きながらできない作業もあると思う。
構成をしながらの文章を書き出すことであるとか、聞き入ってしまうとどうしても手が止まってしまいがちなお仕事・作業。
お客様との打合せなど、意識の集中が必要なコミュニケーションもある。
あるいは時間の使い方としてはストーリー性のある映画やドラマを見ながらオーディブルを利用するというのも、話の内容が頭に入ってこなくなる。

世の中の仕事や作業には、大なり小なり「ながら作業ができる↔できない」の違いがあり、ながら作業ができる業務は生み出す利益が小さく、ながら作業ができない業務は、付加価値が高いものが多いような気がする。

ところがどっこい、実際の収入はそういうやっている作業の違いによって単に生
み出されているわけではない。
投資や投機、資格業、書類作成にしてもながら作業できるものとそうでないものもあるだろう。
大工工事にしてもながら作業できる現場もあれば、ながら作業できない現場もあるように思う。
一方の「ながら作業」は利益に結びつかないが、もう一方の「ながら作業」は大きな利益を生み出しているということもよくある。

価格を決定するのは需要と供給でありその仕事を無意識に行える行為にしているのかしていないのか、という理由ではないのだ。

同じ業務であってもAさんはオーディブルを聞きながらしても効率が下がらないが、Bさんが同じことをすると効率が3割程度悪くなる、ということもあるかもしれない。

 

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