グーテンベルクとかルターとか

世界史の勉強をもう一回ちゃんとしておきたいなと強く思う。

特に15世紀から17世紀にヨーロッパで起きた活版印刷から宗教革命そしておおきなルネサンスという流れの中で、パワーシフトがどんなふうに起きたのだろうとか、国家やコミュニティのありかたがどう変化していったのかとか、そういう諸々をなんとなくだけれども把握しておきたい。

IT革命というのがいよいよ本格的になってきているのだろうと思っている人は他にもたくさんいるし、その手の書籍なんかもたくさん出ている。

これまで正しかったり当然だったりしてたことが、どうも違うみたいだぞ、あれおかしいぞみたいになってきて、なんというかいろいろな国や地域で、パラダイムが変わっていくのだろう。

あまりに流れや変化がでかすぎて、なんというか、それはそれとして、結局はやれることをやるしかないのだなぁという諦めに似た境地にいることはいるのだけれども。

建築資材は、今月から軒並み値上げだし、建設地というのは1.5倍くらいになったのが普通で、むしろそのくらいならいいほうで、予算が2倍3倍に膨らんでにっちもさっちもいかないぞ、これはどうしたものですかねぇ…というような声も建築士さんあたりから聞こえてきたりするのです。

うーん、さつまいも植えたりすることも考えたほうがいいのかなとか、思ったりもしつつ、いやいや、そこまでは流石に?

「倍の値段で買うから在庫全部くれ」って言われたらどうする?

コロナとか戦争とかの影響で物流が乱れたり品不足が起きたりで、いろいろなところで「ものが入ってこない」だの「納期に3ヶ月」だのという声が聞こえてきます。
聞こえてくるというよりも、実際に、ないという話ですよ。
今や世界はさまざまに足らこちらに繋がっている、繋がっているというよりも絡み合っているというほうがふさわしいかもしれません。
ほどこうにもほどくことはできないし、どことどこが絡まっているのかよくわからない、「世界はからまっている」というのが実感できる今日このごろです。

こういうときにどうすればいいのかというと、備蓄したり個人的に多めに注文をしたり在庫をしたりするのが、戦略としては正しいのだろうと思いますが、

例えば当社の在庫としては、

それなりに十分在庫しています。
けれども、なくなったときはごめんなさい。
でも在庫切れしないようには努力しますね。
そりゃもう精一杯努力しますとも。
けれども、そんときはそんときですよ。

というくらいのゆるいテンションで行くのがいいかなと思ってます。

「絶対に在庫切れしませんよ!」
「おまたせなんかしませんとも!」
「1年分、倉庫に山積みしてますから安心して下さい!」
ふんがー
「自社と自社のお客様さえ良ければいいのです。ほかは知ったこっちゃありません。こういうのは自助努力です。準備を怠ったおまんらが悪いんぜよ。」
ふんっふんっ!
というような肉食系というか資本主義的商習慣に従えばきっと100%正しいであろう戦略は「合成の誤謬」っていうやつに姿を変えてしまいやすいというか変えてしまうわけで、

「市場から〇〇が消えた!」というのはその多くは「◯◯がなくなるといけないから多めに買っておこう」という消費者の行動が引き起こしているのだと思うのですよ。

「弊社はこれだけ物品を3年分キープしてます!」オラオラー

それはまぁ、確かに頼りになるし、訴求力にもなるのかもしれないけれども、その訴求力や付加価値(?)を利用することが、新規開拓とか、集客志向に向かうようなPR効果として機能してしまうと、あとあと自分のブランド価値を毀損してしまうのではないかという気がするのだ。

というか、常日頃からの余裕とか備蓄とか在庫とかはBCPに織り込んでおいて、なにかあったから慌てて在庫補充をするとかではなく、
「すごい在庫ですねー集めたの苦労されたでしょう?」
なんてことを言われたら、
「いやーうちはこの10年くらいはずっとこのくらい常に在庫してますよ。
なんていうんですか、何が起きるかわかんない時代じゃないですか。
インシデントに合わせて対応変えるんじゃ遅すぎると思ってますよ。」
みたいな感じで。
「多分、東南海地震と◯◯問題と〇〇危機と〇〇革命が同時に来ても、なんとかなるようにしとりますよ~。
お金とか経費とかもちろんたくさん必要ですけれども、こういう用心にお金を掛けるのも企業努力なんじゃないですかね~。」

みたいなことを言える経営者になるべく頑張りたいと思います。

で、

「倍の値段で買うから在庫全部くれ」って言われたらどうする?

っということの回答ですが、そういう言い方をする人は、弊社のお客様にはいないと思うので、全部売ることはないですね。

通常価格で、例えば一人三個だとか、他のお客様が困らないように出荷数も調整すると思います。

今必要な個数を確認して、できる限り市場をコントロールできるような姿勢を貫くのも、微力ながら弊社のような卸売業を営む者の機能というか使命なんではないかなーと考えています。

複雑に絡まった結び目を
なんとかほどいていこうと思うなら
力をゆるめて
ほにゃらかにやっていくのもいいんではないかな

「そんなので生き残れるか!」とか怒られそうですけれど、緩やかに軽やかにやっていきたいのですよ。

レンタルサーバーのお引越し

先月末10年くらい付き合っていた某鯖をやめて、他の鯖に引っ越ししました。
独自ドメインもそこで管理をしてもらっていたので、なかなか踏ん切りがつかなかったんですけれども、いろいろ見直す一環で取り掛かったわけです。

結論的には、メッチャ簡単であっさりできました。

申請して引っ越すまで三日かからなかったし、手続きも簡単でした。

もっと早くやっておけばよかった。

 

世の中には「現状を変える」「環境を代える」というのはいろいろバイアスもあって一歩踏み出すのが億劫なんですけれども、やってみると「なんだこんなに簡単だったのか」ということは本当に多いなと思います。

休日カレンダーの話

会社の休日管理にグーグルのカレンダーを利用している。
2022年4月から2023年3月末までの休日やお休み日程が決まった。


こういうのってどうなんかなー
個人名があるから控えたほうがいいのかね。

ちなみに今は、内容が見れるアカウントを限定しているので、名前ではなく「予定あり」っていう表示になっていると思います。

設定で変えられるので「予定あり」っていう表示になってしまうのみたいだけど
これだと休日っていう意味がログインしてパーミッションもらえていないと意味わからないですよね。

自分は「この日は休みですよ」とかいちいち伝える方がめんどくさいから、多少のスケジュールは公開することに全く躊躇はしないのだが、
人によっては違うのだろうな。

 

何を買っていただいているのか?

金子商会は、水道管材店とか建築資材店とかパイプ屋とか、いわゆる問屋さんとか卸売業という業種になります。

銀行とかで「業種」に書くときは「卸売・小売」になるので、先のツイート主さんの気持ちはよくわかる。

金子商会も時代の流れの中で取り扱ってきた商品がちょっとづつ変わってきてます。
「ネットで買い物ができるようになるなこりゃ」と思ったときに住宅設備器具はもうあかんなと、「注文して仕入れて売るタイプの商品」は「金子商会で買ってもらえる商品」ではないと考えて、あんまし本気でそこは売らんようにしよう、と、
で、
その当時1990年代の住宅設備機器、TOTOの便器とかウォシュレットとか浴槽とか給湯器とか月商2000万円くらいあったんですけれども、今はほぼゼロになっています。

じゃぁ、金子商会が買っていただいているものっていうのはなんなのか?

言い換えてみると提供できている価値、
料金と引き換えにお客様が手に入れている付加価値ってなにか?

そこのところを考えると、水道資材とか塩ビパイプとか配管材料とか施工用の消耗品を売っているということではないのです。

「いつ来ても確実に手に入る」
「電話で注文すれば1時間もしないうちに現場に配達する」
「お客様が自社で在庫管理する手間が省ける」
「テキトーな注文でも欲しい物が手に入る」
「なに使ったらいいかわからないときに質問したら解決法がわかってしかも物理的にすぐ解決できる」
「必要十分な品質を維持できる」

などなど、つまりは「ネットでは購入することのできない」
「めんどくさい」とか「手間ヒマ」とか「明日じゃなく、今日、今いるんだよ」という部分に対してフィーをいただいているということになります。

もちろん、その部分はあんまり儲からないし金額も大きくはないので売上金額でいうと、20年前の1/5くらいになってしまったのですが、まぁなんとかやって行けているしお客様もいらっしゃってありがたいなというところです。

買わないお客様ではなく、
実際に買っていただいているお客様のために、
なにができるのか、
なにをすればいいのか、
なにが求められているのか、
結局、自分にできることはそれだけですし、買ってくれる方がお客様ですので、
なんというか、基本的にはこういうスタンスなのです。

 

約束

約束とか契約とか、ウヤムヤだったり先延ばししておいたことが、いよいよごまかせなくなってきて、弾け飛んでしまうというか、そういう出来事の一つなんだろう。
そういう事象が21世紀の1/4が終わろうとしている今の時期に吹き出しているのかなと考えてみる。

ITによる情報革命でいわゆるパワーシフト(トフラーさんが言うところの)が起きていて、今はその最中なんだろうなと思う。

それにしてもトフラーさんってすごいよね、なんというか未来が見えてるって感じがする。

まぁ、それはそれとして、

不謹慎なことだとは重々承知の上だけれども

これだけ約束や信頼性をどうやって交わしていくのが正しいのかっていうとどれだけ情報をオープンにして隠し事がないようにできるのかって言うのが要点になるのだと思う。

その上で、戦場で
こういうウエラブルカメラを付けた民間傭兵部隊がYouTubeでライブ中継したりしてお金を稼ぐ、実際は稼ぐというよりか「見ることでその国を応援する」というような体で金銭の授与が生じる感じになるのかもしれない。

あとウクライナの地方にあるスーパーのサイトを見たりして、なんかできることはないかなとか考えたり、ほかもいろいろ調べると、自分の知らないことだらけで、判断することができなくてなさけなく思ったりする。

ロシアの地方都市のスーパー戦争しているふうな感じがなくて、でももしかしたら情報統制とかいろいろ空気とか雰囲気とかで情報発信ができていないだけなのかもしれないとか想像してみたりもする。

この町にある大学のVKページも見るけど更新されていないし、そろはそれで意味があるのかもしれないなーとか。

このあたりに住んでいる人は今どんなことを考えているのだろうかとか、

しょぼくても想像力を働かせて、アレコレ考えていろいろググったりDeep-L使ったりして、今の時代を俯瞰して、というかネット上の情報は全て他人の視線や考えの切り取りでしかないのだけれども、

それでもできる限り一次情報というか、そこにいる本人の言葉の一つ一つにアクセスして世界につながって行くのが、間違いが少ないのではないかとか、

そんなふうに考えているのです。

つまり、そこにいる一人ひとりと、もしかしたら確かな約束を交わすことで、いろいろな悲劇を防ぐことができるのではないかと、そんなことを思うのだ。

相手を憎んだり排斥するのではなく、ちゃんと話し合って、一人ひとりとユナイテッドして、そういう未来を作っていくのがいいのではないだろうか。

なんというか、ロシアの人を憎むのではなく、ロシアに住んでいる戦争に反対している人となんとか繋がる方法を考えて、実際につながるだけでも、違うんじゃないかなと思う。

 

汝平和を欲さば、戦への備えをせよ

見ました。
もうこれでもかってくらい人を殺していくのですけれども、ストーリー的にはとにかく、襲ってくるからぶっ殺す!

そう、自分は殺し家業から足を洗って平和に暮らしたいだけなのに、なんかよくわからない理由で殺し屋がやってくるので、仕方がないから殺っちゃうんですよ。

で、まぁ伝説の殺し屋のジョンなわけですから、かんたんにやっつけてしまうわけです。

汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」(Si vis pacem, para bellum)は、ラテン語の1700年くらい昔のことわざなんだそうた。

パラベラムというのは、戦への備えをしとこうということで、
自衛のための戦力は磨いておかんといかんよというような意味なんだろうね。

アメリカが銃社会っていうのも、根底には同じものが流れているんでしょうかね、確か拳銃の名前でピースメイカーっていうのもありましたな。

もはや隠さないほうがいいのかもしれない

先日、こどもたちと博多に行く機会がありまして、バニラカーが走っていたわけですよ。

まぁ、「あれはなんの車?」とか質問されるわけですが、
「まぁアルバイトの広告だよねぇうにゃむにゃ」というような返事を返すわけです。

それはそれでいいとして、結局、そこで親が応えなかったりごまかしたりしてもスマホでちょろっと検索したらどんなものかわかっちゃうわけですよ。

ペアレンタルコントロールとかはっきり言って意味がないですし、まぁITリテラシーのない大人の自己満足みたいなものですから、自分はほぼ子供のスマホの検索制限とかはやってなかった感じです。(時間制限はしてた)

実際、制限するよりも、そのような情報であってもアクセスするほうが最終的にはITリテラシーが高まると考えていますし、子供のうちにPCにウイルス感染させて初期化したりリブートしたりを何回も繰り返すうちに慣れていくもんだと思いますよ。

エコーチャンバーで陰謀論にハマったりとかも、中二病でムーを読んだり都市伝説にはまったり、古いですけれどもMMR的な情報ソースに早めに感染しているとなんとかQみたいなのに三十過ぎて感化されたりしないような気がするのです。

なんというか、子供のうちにMMR的なものにハマると、
「教科書に書いていることは嘘ばっかりだ!」とか
「政府の陰謀ガー」みたいなことに感心をもったりして、それについて情報を探したりするのですけれども、いろいろソースとなる大人の発言とかいろいろ比較検討してみると、なんと申しますか、底が浅い考えとか、どう考えてもムリがあるなぁと、何日・何ヶ月かすると気がつくのですよ。

なんでかっていうと並行して学校で勉強していくから、知識が正しく補正されていくのですな。テストがあるからしかたなくの場合であっても、古典的な正しいとされている知識の裏付けやなんかは、力が強いですから。

大人になって陰謀論にハマる人っていうのは、教養が浅いというか、偏っているというか、中高生のうちに教わる五教科がほぼ履修できていない。

物理や科学なんかとくに理解できていない。

「酸性とは酸化した物体の性質のことだ!」とか言っちゃうわけですよ。
「酸素を沢山吸うと身体が酸性になる」とか「酸化とは水が酸性になることだ」とかそういうことです。

陰謀論にハマる人はだいたい酸性と酸化の区別がついていない。

小中学校で陰謀論にハマったとしても、学校のテストとかで世界史とか化学とか生物とかの勉強も並行してやっていくわけですから、
で、やっぱり学校で学ぶ知識というのは正しいわけで、正しい道に戻っていくのだと思う(不登校になったりして履修されない場合、陰謀論思考が強化されることもある)

でも大人になってると、中学高校の教科書を読み返したりしない、みることすらないです。間違った知識ばかりの書籍やトンデモ本や、なんとかいう掲示板とか、アレな感じのユーチューバーとかばっかり見ちゃう。

オルタネイティブな情報しか消化しなくなってしまう。

うむ、こりゃよくないよね。

だから、十代の早いうちに陰謀論とかムー的なこととか、大人のいう「けしからん情報」にもアクセスして、

「大人ってバカだなぁ」という正しい中二病に罹患してほしいなと思うのです。

そんなわけで、この春コンピューターを手に入れた中学生高校生はペアレンタルコントロールを外してもらえるようにしましょう。

で、なんでそんなことを考えたのかというと、博多の警固公園でなんか陰謀論の方々がわちゃわちゃされていたんですけれども、だいたいがいい年齢の方々で、高校生とか中学生とかほぼいない感じだったんですよ。

そう言えば陰謀論にドハマリしている中学生とか高校生っているのかもしれないけれど、学校で浮いているというか変なやつというか、そういう扱いをされるリスクも背負っているので、大人の陰謀論者みたいな言動は抑えられたりするのかもしれないです。

それから嘘とか狂言はものすごく簡単にバレる時代にもなってます。

それなりのリテラシーがあれば嘘は嘘と見抜くことができますし、そういう嘘を見抜けるようになるためにも、はやめにネットの世界に触れるのが大事なんだなーと思うのです。

10億円をポンッと寄付する男

もし自分がものすごい大金持ちだとして、例えば10億円を寄付したとしてもそれを750万人で割ると一人あたり133円にしかならないという事実があって
それって一人にひとつじゃがりこを配ったらなくなってしまう金額なんだと考えると、寄付するよりももっと違ったお金の使いみちがあるだろうなと考えてしまう気がする。

自分がすごいビリオネアだったとして、オリガルヒだっけ?そういうお金持ちだったとして、手元に
「じゃあ、あんた自由に使える100億円あるやんけ。困ってるみんなに配ってくださいよ」
みたいなことを言われたとして、
「でも一人あたりにするとたったの1300円くらいなんだよ、そんなのもらっても嬉しくないだろう。しかも一回の振込に400円も手数料が取られるんだよ。
手数料だけで、金融機関が30億円も儲かっちゃうんだぜ!
アホくさいだろうよ」
って言い返すような気がするんだよ。

そんでもって、ものすごい大金持ちの人っていうのは、なんというか、めっちゃたくさんの人から少しずつ、それはもうメッチャ少しずつ、困らないくらいの、もしかしたら気が付かないくらいの金額をもらえるような仕組みを作っちゃってんだと思うんですよ。

一人当たり12円とか、例えば日本の場合、人間の数が1億2600万人だとして、

「毎月一人当たり8円」✕「12ヶ月」✕「1億2600万」とか
「毎日一人当たり3円」✕「365日」✕「1億2600万」とか

まぁ、全員はないにしても2000万人から集めるとか、300万人から集めるとかでも、相当な金額になるのは計算機を叩けば理解できるわけです。

軍事費とか国家予算とか何兆円みたいな世界に生きる人にとっては10億円というのは、誤差みたいなもので、1270円のA定食と1290円のB定食どっちにしよう、って考えたときの差額みたいな感覚だったりするのだろうなと思うのですよ。

そういう現実を踏まえた上で、寄付したりとかなにかできることをするとかいろいろ考えないと、なんというか世の中に流されちゃうような気がしてこわいのだ。

BCPとコロナ禍と世の中の変化をどう織り込んでいくのがいいのだろうか。

NHKのニュースサイトのまとめページを見ると2020年の1月8日がこのコロナ禍の最初の日付になっている。

コロナ禍のスタートを何日に設定するのかによって、2年以上続いているだとか、もう3年続いているだとかの若干のズレが生じてしまうのは仕方がないと思う。

この日がコロナ禍の始まりだというのを早い順番に並べると以下のようになるだろうか。

2019年10月に中国で発生しているらしいとう報告
2020年1月8日 WHOが新型ウイルスの可能性を否定できないと宣言
2020年1月14日 WHOが新型コロナウイルスを確認
2020年1月20日 WHOが「国際的な緊急事態」を宣言
2020年2月3日 乗客の感染が確認されたクルーズ船が横浜港へ
2020年2月11日 WHO 新型コロナウィルスを「COVID-19」と名付ける
2020年3月11日 WHO 「パンデミックと言える」と評価

2019年の10月から2020年の3月までだとすると約6ヶ月のズレがある。

コロナ禍がいつから始まったのかっていうときは、世間一般では3月11日のパンデミック宣言からだろうか?

だとすると、コロナな状態というのはまる二年くらい続いていることになる。

3年は続かないんじゃないかっていう予測も見られるのだけれども、どうも3年では終わりそうもない。

例えば、お気楽な海外旅行が来年の今頃できるのか?っていう話ですよ。

2019年の1月にドイツとスペインに旅行したんですけれども、そのときと同じような旅行を楽しめるようになるのはいつなんかなーと考えたときに、日本だけではなくヨーローッパや中国や他の国の防疫政策の都合もあるのだから年内は同じような旅行を楽しむというのはちょっと難しそうだ。
しかもウクライナでは戦争も始まってしまっているし「COVID-21」とか「新型インフルエンザ」だって発生するのかもしれません。

(ちなみにこちらのNHKさんのコラムは2019年5月の記事ですから彗眼ですね。)

とりあえず、今の状況が来年まで続いて、そうこうしているうちに違ったウイルスによるパンデミックが、これから先の10年間の間に2回くらい起きてしまう。というような状況になって、

海外旅行するときは
ワクチン接種義務化
出国時入国時のバイタルチェック及び生体データの提出
ウエラブルアプリでのデータと移動履歴の提出
みたいな、うへぇまじかー、昭和的な「旅の恥はかき捨て」みたいなワルイコトはもう出来ませんなぁというような、そりゃ自分の責任においてケシカランことをするのは自由ですけれども、万が一なんかの病気に発症したりすると、そういうことをしていたってことがバレバレになっちまいますぜ旦那(ウヘヘヘ)みたいな世の中になってしまい、それはそれで案外健全なのでいいのではないだろうかと思ったりもするのでした。

なんというか「清廉潔白」「品行方正」でなければ、まぁ好きなことはできませんよ、そういう世の中になってしまったのだなぁと、そういうことを受け入れるのが、案外若い人とかは平気なのかもしれないとも思ったりしているのです。

というか、今の十代二十代の人っていうのは、生体データとか位置情報の共有化みたいなことをオープンにするのって案外平気な人が多いのではないかしら。

ちなみにわしは今年55歳になるけど、そういうことをオープンにするのには、そんなに抵抗がなかったりする。

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