仕事中にSNSをつい見てしまうお前

業務と業務の間とか、手持ち無沙汰だったりするとついSNSを見てしまったりする仕事ちゃんとしているのか怪しいオジサン。

けっこういると思うんですよ。

一回どのくらいSNSを見ているのか計測してみてくださいよ。

ManicTimeとか使ってみると自分でも驚くくらい見ていたりしますよ。

1日10分くらいだよ、って言う人だったら多分延べ時間で2時間くらい見ていると思います。

それじゃあだめですよ、他の人や部下にも示しがつきませんよ。

「ウチの上司は勤務中にネットばっかりしている」みたいに見られて指示しても無視されるようになってしまいます。

そんな人は自分のブラウザ(多分エッジかクローム)にStayfocusdという機能拡張を導入しましょう。

そしてTwitterとかフェイスブックとかいろいろなニュースサイトとか、つい見すぎてしまうサイトドメインを登録してしまいましょう。

制限時間は一日15分にしましょう。

制限時間が来たら強制的に閲覧することが出来ます。
情報を集中して検索するクセもつきます。

何よりもダラダラとスクロールして時間を浪費しなくなります。

そしてスマホのアプリを消してしまうのです。そうすることで圧倒的に時間を有意義に使うことができます。

発信はBufferを使えばいいのです。

 

まぁ自分のことなんですけどね。

 

 

 

ちなみに3つとも無料アカウントで十分だと思います。

情報源: Buffer – Chrome ウェブストア

ルック・バック サユリ

映画を見ましたよ。

殺されることの不条理はどうすればいいのだろうかなんてことを考えます。

死ぬことは避けられないし、人は必ず死んでしまうし、死から逃れられる人はいないわけだよね。

それでも、自分の思うように生きたり、自分ではどうしようもない困難とか環境で生きることができなくなりそうな時に、どう抗うべきなのかを考えたりするのだけれど、結局は死は受け入れるしかないし、どうせいつか死ぬのだけれども、どうせなら生きていこうという意志でしか、今を生きることはできない。

いろいろと理由を付けて死を受け入れようとするのだけれども、たぶんどんな理由であっても、同じで、受け入れることはできたりできなかったりするのが現実だろう。

ある人にとっては救いになるのかもしれないけれど、誰かにとってはそれはただの呪いなのかもしれん。

悪霊とか怨霊というのは、実際のところは物理的には存在しない。
毛虫とかゴキブリと同じように悪霊や幽霊が存在するのかっていうと、同じようには存在していないっていうのが現実なのだろう。

さてこの映画、両方とも原作も読んでいて、どちらも微妙に演出が原作と映画では違っているのだけれども、どちらも良いのだ。
補完しているというか、原作もよいし、映画もよい、追加したり違っている部分もあるが、それがまた良いのだ。

漫画と映画では、そのメディアの性質上、それぞれに合った脚本の違いはあるのだと思う。時間的制約だってあるのだろう。

できるだけのことをそこで行うっていうのが、実際はけっこう大変で凡人の自分には「それだけをやる」というのは徹底できていないのだ。

 

ちなみにヘッダーのポスターはAIに描いてもらった

時間を溶かさないようにしたい

気がつくとダラダラとネットサーフィンしたりSNSを眺めたりして時間が溶けていることが多い。

あと仕事中とかちょっと見てしまうのだが、そのままズルズルと読み続けてしまうことが多く、その間というのは生産性がひどく落ちているので、クロームの拡張を追加した。

けっこういい感じでコントロールできるのでオススメです。

Blackliat
yahooニュースとかブロックしてます。(なんか使えなくなるみたいなのでどうしよう)

StayFocusd
SNSは一日30分以内に設定。

それはそうと4時半くらいに緊急地震速報がなって驚いた。
宮崎のほうが震源らしいです。

 

行動分析学

行動分析学入門とパフォーマンス・マネジメント

2022年と23年に「行動分析学入門」「パフォーマンス・マネジメント」の2冊が第2版に改訂されたのだ。

会社の新人さんが入るたびに読み直したり、仕事上なにかの指示を社員に依頼したり、仕事の内容を伝えるときに、どうするのがいいのか、そういうことの参考というか指針として役立つのがこ2冊なので、なにかあるたびに読み返していた。

行動分析学を学べる和書が充実した今、なぜ本書を改訂したのでしょうか。
最も大きな理由は本書の特徴の一つであったアキジという登場人物です。
「あたしは男に生まれてきた女」という目次にあったようにアキジはトランスジェンダーで、本書に登場する他のキャラクター同様、研究論文に基づいて創作した架空の人物でした。
アキジは男性らしくふるまうことを期待される社会の中で男らしいしぐさを学んでいきます。本書の主人公の一人である行動分析家の平野豪が、アキジからの要請に応え、行動変容を支援していくという物語になっていました。
しかし、時代は大きく変わりました。
性的指向や性自認には多様性があること、個人の尊厳を守るために、それをそのまま認めることが社会として望ましいと認識されるようになりました。
アキジは男性らしくふるまう必要はないし、女性に対して性的魅力を感じなくていいし、何よりも、他者がそのように強制すべきではないと考えられるようになったのです。
「男に生まれてきた女」は、本人が望む限り、「男に生まれてきた女」や「女」として、あるいはそのような型にはめられることなくそのままで、不安や心配なく堂々と生きていけるように世界の方を変えるべきであると、社会の価値観が大きく転換したのです。
(本書巻頭「読者の皆さまへ」より抜粋)

この30年の間に行動分析学に関する書籍は本当に多くなりましたし、多くのビジネス書でも取り扱うことの多い概念として定着しています。

行動分析学入門の前書きの中で
「個人のセクシャリティを社会に受け入れられやすいように変更する行動修正も可能だし、社会を変革していくパフォーマンス・マネジメントも可能だろう」という一文があります。

「行動修正」と「パフォーマンス・マネジメント」は個人と社会の関わりというコインの裏表で、どちらにも精通しておく必要があるのだと私は思っています。
すべてが個人の責任だ、いや社会の仕組みが悪いからだ、ついどちらか一方のせいにして、問題解決を探ろうとしてしまいがちなんですが、個人が変わること、社会(会社や仕組み)が変わること、どちらの視点も同じくあり大事だと思うのです。

私は社会のルールや規範、モラルと言ったものは時代とともに変遷していくものだと認識しています。

いつまでも学び続けることでしか、世の中はよくなっていかないと思いますし、自分自身も成長していけないだろうと考えています。

教養としてのプログラミング

今年は教養としてのプログラミングスキルを高めていきたい。
高めるというかプログラミングができるようになるというのはどういうことかっていうところから始めなくちゃならないのだけれど。
そもそも「プログラミングができる」というのはどういうことなんだろうか?

変数、データ型(文字とか数とか日時とか)、制御構造、関数などの基本的な概念をマスターすること。
コードを記述できるように、ロジックを組み立てて効率的にかけるようになること
テキストエディタやGitのようなバージョン管理システムを使いこなせるようになること
アルゴリズムやデータ構造を効率的に選択し適用する能力をもつこと
常に新しい技術や手法を学び適応する柔軟性を持つこと

単にコードを書くことができるということ以上に、問題を解析し、効率的かつ創造的な方法で解決策を実装する。問題を定義しそれをハックするという能力を高めていくことなんだと思います。

いろいろな状況や現実の世界の変化についていけるようになるためには、今まで以上に色々な分野に興味を持って知るための行動を多くする必要があると思います。

「別にこまっていないしこのままでいいや」というような「現状維持バイアス」に飲み込まれることはよくなさそうです。

これまでに想定しなかったような災害や事件に巻き込まれることもあり得る時代になっています。

情報テクノロジーやコミュニケーション技術の変化、OpenAIによる知的創作活動のコスト変化など、これから先10年ほどの間に起こる社会変化は大きなものになるでしょう。

印刷技術、蒸気機関、内燃機関、電信電話、電波通信、発電、コンピューター、時代時代に誕生した技術はそのつど社会を作り替えていています。
人の生き方はそれぞれの時代に合わせて最適化され変化していきました。

自分自身の目標や価値観は自ら欲するから変わるというわけではなく、環境によって、(言い方を変えれば)、押し付けられるようにして、変化していくのだと思います。
自分が快適でなかったり、なにか違和感を感じているとしたら、それは、環境が自分に対して「お前は変化しなければならない」と言っているのかもしれない。

猫のように変化しないことも、それはそれで幸せかもしれないけれど、それは「飼い猫」であることあるいは「街の猫」であることが必要なのかもしれません。

いわゆる「野生の猫」日本で言えば「イリオモテヤマネコ」も「ツシマヤマネコ」も絶滅危惧種であり、庇護下にない状態では、生きていくのは非常に困難だったりする。

ではそのようなヤマネコは家猫に比べると不幸なのか、なんらかの保護下に置かれることで

死なない

という幸福を得ることができることは、間違いないといえる。

ただ、そのような庇護の傘が、ある日突然なくなってしまうことだってあるかもしれない。
それは災害だったり、経済的な不況だったり、もしかしたら戦争だったりするのかもしれない。

家猫が野生に帰れないように、人もなんらかの保護がなければ生きていくことはできない。

お互いを保護することのルールが少しづつ変わったとしても、なんらかの保護下でなければ人は生きていけないというのも、僕は事実だと受け止めている。

教養としてプログラミングスキルを高めていくというのは、その保護の手順やプロトコルを書き換えていくために必要なのではないだろうかと思っているのだ。