アップルペンに慣れたい

 

iPadがあるのでいろいろ絵の練習をしています。

今回はocilusのコマーシャルのお姉さんの絵を書いてみました。

これ1枚書くのに30分もかかってます。

同じような絵を5分くらいで描けるようになりたいと思っています。

50の手習いですな。

MediBangPaintという無料のアプリを使用しています。

100ある機能のうち使えてえいるのが2くらいな感じですよ。

 

図形とか表とかチャートを書くのにも使えそうな感じです。

定規とか集中線を引くのとかも簡単そう。

写真に描き加えたり文字を入れたりも直感的にできそうなので、自分のDX能力を高めるつもりで毎日やってみます。

 

絵を描く

 

せっかくiPadを持っているのだからいろいろ活用できるようになろうということで絵の練習していきます。

毎日30分くらい描いてここにアップしていくつもりです。

 

 

始めたいことリスト

Unityでフォトグラメトリ。

iPadのお絵かきソフトでスケッチをする。

小説の続きを書く。

とりあえず、この三つを時間を作って集中してやっていこう。

と思うのであった。

2015-2030までの気になること。

ビッグ・ママとかママのリフォームとかマジックミシンの服飾服飾のリフォームになんかテックが入ってきそう。

上の2つは大手っぽいけれども、いろいろな地域に零細の服飾リフォームが乱立している。

おこもり需要とかアパレル管径のコロナの影響とか、それでも人は買い物をしたくなるので、アフターメードというかアフターオーダーというか、

とりあえず大きめを買って裾上げしたりとかサイズ直ししたりする、そういうサービスが見直されていくんではないだろうか?

とりあえず娘のジャケットとかスカートを何着かネットで購入したもののやはりサイズ感というのが、微妙に合わないんだよね。(娘が小柄なせいもあるけれど)

ちょっと丈を短くするとか、袖を短くするとか、そういうニーズはあると思うので、このあたりのタイアップをするといいんではないだろうか?

例えばZOZOタウンが、ママのリフォームの裾上げサービスに使えるクーポン券を同梱するとかさ、そういうサービスとかキャンペーンをしてくれるといいのにと思うのですよ。

それから、なんというか「もったいない」という市場はこれまで以上に盛り上がっていくというか必要とされる市場になるような気がします。

もちろん糸の種類とかいろいろと材料は必要かもしれないですけれども、裾をたくし上げるとか、仕立て直しの種類を絞ることで、在宅でできるような仕事になったりするのではないだろうか?

裁縫舐めるなとか言われそうですが、

すでに実業としてちょっと調べてみるとonaoshi.jpとかそれっぽい企業はもうあるようなのでけっこう見通しの明るい市場なのではないだろうか?

アフターオーダーとはちょっと違うのかもしれんけど、購入した既製品の洋服を仕立て直して一人ひとりが楽しむというのはアリなんではないだろうか?

なんというか最後のちょっとしたところで差別化を図るというか、製品の全体を100とすると、仕上げの3の部分だけをやる仕組みとかをアパレルの世界に持ち込むと面白いのではないかな。

こういう変化の大きな時代は、商売の流れを因数分解して、再構築するのが効き目があると思う。

 

 

 

 

娘たちの修学旅行がなくなってしまったりした件

高校生と中学生の娘がいるんだけどどっちも今年は修学旅行がある予定だった。

でも、ご存知の通り今の処、コロナで大変なので、集団で密になって移動する象徴みたいなイベントである修学旅行は中止なのである。

まぁ学生にとって修学旅行というのは一大イベントだよね。

学校をサボりがちな彼も不登校なあの子もこれだけはなぜか参加してしまう。

それが修学旅行なのだ。

娘たちもそれはもう楽しみにしていましたよ。

中止が決まってガックリですよ _| ̄|○

というか集団で旅行するとかではなく、3人ぐらいのグループで日程組むところから生徒にさせてこじんまりとした「旅」そのものを経験させるのではダメなんですかね?

何十人もがいっしょに行動しないとダメなんでしょうか?

修学旅行そのものを見直すいい機会だと思うんですけど、学校教育は2年後くらいにはなにごともなかったように以前の形に戻ってしまうのでしょうか。

だとしたらつまらないなぁ、逆にネットを使った結びつきとかSNSとかガンガン利用してもらって、新しいつながりを開拓させたほうがいいようにも思う。

でも自主的に勉強する、自分の意志で自習することができるようになるためには、ある程度の勉強の量というか成績が必要なんだよね。

勉強が面白いと思えるようになるためには、とにかく最初は量が必要なのも事実なのだと思う。

 

まぁ、今年は運動会とか文化祭とか軒並み中止になってしまったので、学生さんは残念なんだろうなと思う。

 

自分はわりとスクールカーストでは底辺に属していたし、中学校は帰宅部だったりしたので、文化祭とか体育祭とか修学旅行がなくなったらホッとするというか、めんどくさくなくなったのでむしろヨシ!とか考えそうなので、あまり娘に共感できなかったりして、もうしわけなかったり。

というか、修学旅行なんてしなくてもいいじゃん、としか思えないのでした。

2025年から2030年までにかけてどういうことを織り込むといいのか

コロナで2020年は停滞しちゃった感がつよい。

その分来年以降の変化がでかくなるかもしれない。

波は地域ごとにどっぱーんとやってくるのだろうというふうに思う。

なんでかという理由。

技術が複合的に完成に向かっている。あと人材開発とかもネットで繋がったりとか、、つながる人たちは少人数でよい。

何人かのコネクテッドされた人たちが、政府組織や企業に変わって社会的なネットワークを構築していく。

新しい国家? 国家(nation)から域個

Nation から Existion へ

「生まれ」による結びつきから、

「存在すること、生きていることそのもの」の結びつきへ

 

United Existion of the World (U.E.W.) という概念が生まれる。

 

5Gは、国境と言語の壁を乗り越えて個人個人を結びつけるようになる。

LiDARによるリアルタイム・レンダリングによるバーチャル・ミーティングが可能になる。

VR空間で共通の物体を動かしたりとか、リアルタイムで相手に動かしてもらうことで、擬似的に物理空間を共有することができるようになるかもしれない。

NLP(自然言語処理)による機械翻訳の時代になると、人はもっと簡単に繋がれるようになるのではないだろうか。

今はまだVRチャットの中で自動翻訳でリアルタイムに会話を楽しむということはほぼできないけれど、

そのあたりの難しいハードルも5年位すると高速処理を可能にする量子コンピューターと機械学習で経験を重ねたAIの登場でドラえもんのほんやくコンニャクを手に入れることができるようになってるかもしれない。

まぁ、そこまでの道具はないかもしれないけど、言葉の壁は案外乗り越えるのは早いのではないだろうか。

国とか政府とかの概念が変わる時代なのかもしれないとかは考えておいてもいいかも。

近代国家が17世紀とか18世紀に設立した。

初期のころは、例えば、ホッブスとかルソーとかは、

「これまでの支配階級はもうあかんよ~、これからの時代は◯◯なんやでぇ~」

みたいなことをいうて当時の聖職者だったり王政だったりを否定したわけやけれども、

その背景にはいわゆる産業革命とか活版印刷とかまぁいろいろな技術革新があったわけで、

世界史的には技術革新によって政治システムそのものが変化しているわけで、

情報革命とか第◯次産業革命というのは、共同体のあり方そのものを変えるのは当たり前なのだよね。

 

で、そんな新しい時代に全時代の思想とか偏見とかを持ち込んでもうまく物事は進んで行かないと思うのですよ。

多分産業革命の頃イギリスでは、「これはフランス人の陰謀だ!」とか

フランスでは「黒死病はイギリスのエドワード3世が作り出したのだ!」みたいな陰謀論が囁かれたりしていたと思うんですよ。

過去にあった3つのペスト・パンデミックと今回のCovid-19を同じものと考えるには若干ムリがあることも含めて考えないといけないとは思うのですが、

というか過去にあったパンデミックはペスト由来のもの、コレラ由来のもの、インフルエンザ由来のものなどがあるのですな。

個人的には「◯◯による陰謀だ!」みたいなのはあまり考えていないので、陰謀論界隈には近づかないようにしておこう。

 

あと1918-1920年のスペイン風邪の死亡者数は5000-1億人ということで、COVID-19の12月現在の155万人と比べると32倍から64倍の規模だったといえる。

ちょっと早めに年末の掃除

昨日は家の窓拭きと台所の換気扇周りの掃除をほぼ半日かけて終わらせました。

今年の年末は27日日曜日は会社休みで、28・29日は通常通りの営業。

30日から明けて1月4日月曜日までお休み。

仕事初めは5日火曜日からということになっています。

30日の一日だけだと、家の掃除は進まないのは目に見えておりますな。

年末までの日曜日はあと20日と27日の二日のみです。

この二日で八割方終われせて、大晦日はゆっくりこたつに入って過ごしたいと考えております。

 

それにしても2020年も残り17日になりましたが、まだまだ何が起きるかはわかんないですよね。

気を引き締めていこう。

それにしてもあと10年したら2030年ですよ。

今から10年前が2010年ですから、

2010年から2020年になって変わったこと、新しく生まれたこと、なくなってしまったこと、と同じくらいの出来事がこれからさき2030年までの10年の間に起きちゃうかもしれないということですよね。

20年というと、そのとき当たり前だったツールや習慣・志向がなくなってしまうのに十分な時間ですよ。

今年は2020年なんですけれども、2000年には当たり前にあったガジェットやサービスが今は全く見かけないとか、その逆にそのころは、想像もしていなかった商品やサービスが今中心に来ているとかね、探せばいっぱいあるので、そのあたりをいろいろ考えてみようと思います。

「面白い」とはどういうことか

前回の映画の話でもちょっと触れていたのだけれど、映画にしても小説にしてもいわゆる「面白い」というのはどういうことなんだろうかと、よく考えてみよう。

「この本、面白いから読んでみなよ」

「あの映画、面白かったから絶対に見たほうがいい」

なんてことで人にすすめられることはよくあります。

で、この「面白い」には三種類あって、英単語で表すと

“Interesting” “Amusing” “Funny” に分類されると考えています。

“Interesting”は「興味深い」という面白さ

この単語は”inter”(間に)”esse”(ある)というのが語源で、

一見無関係なAとBという事象が結びついてCという新しい事柄を生み出すという面白さがあります。

“Amusing”は「アミューズメントパーク(遊園地)」という言葉にもあるように「楽しむ」というニュアンス。語源を調べるとフランス語で「驚いてじっと見つめる」「呆然とする」ということだそうです。

つまり気を晴らすとか現実を忘れてスカッとストレスを発散するとか、そういう意味合いでの面白さですね。

そして三つめの”Funny”は「滑稽だ」とか「いかがわしい」とか「なんか変」という面白さ。

語源は”fun”「たのしみ」とか「おかしさ」そのものということ。

放課後電磁波クラブとかワハハ本舗の梅ちゃんとかそういう面白さです。

で、自分が本や映画を見て「面白い」というときはたいてい1番目の”Interesting”という意味での「面白い」だったりします。

何をもって「面白い」というかですが、条件は三つあります。

1、新しい知見があること

2、多様性があること

3、常識を覆す

この三つのうちのいずれか、あるいはすべてをふくんでいるならそれは面白いのだ。

だからその面白さを伝えるときにはその三つのポイントを具体的に説明すればいいのだと思います。

つまり、

その作品から得られた「新しい知見」はなにか?

その作品にあった「多様性」はどんなものなのか?

その作品によって「覆された常識」は何だったのか?

そこのところを相手に伝えると、その「面白さ」が伝わるのではないかなと思います。

ドクター・デスの遺産

映画「ドクター・デスの遺産」を見ました。

テレビ番組の2時間スペシャルっぽいオープニングでスピード感のある展開。

良かったです。

 

原作はもっと良さそうなので読みます。

さっきキンドルでポチりましたよ。

ちょっと読んでみましたけど、最初からもう全然ちゃうやんけ、これはもう、原作ファンの人は、そうとうガッカリしたかもしれないのではという予感がします。

でも映画には映画の面白さもあるので、やはり映画見て原作小説読むのは正しい。

だいたい映画化される作品(小説でも漫画でも)はめっちゃ面白いのが多いです。

なにせ映画化されたりドラマ化されたりアニメ化されたりするくらいですから、そのプロットは秀逸なものがほとんどです。

ただ、残念なことに原作が小説の場合、映像化するとかなりな確率でガッカリします。

小説読んで面白いと思って映画をみるとだいたいガッカリします。

(クーンツの作品なんかもう、ほんとに舐めてるのかっていうくらいガッカリするのが多い)

原案くらいにとどめて、まったく違う作品にすると、いい意味で期待を裏切られて面白いのですが、そうじゃない場合だいたい面白くないです。

小説を映像化して面白い場合は、

主役が変わっている 原作では男性だが映画では女性「リング」とか

主役の年齢が違う 「四月は君の嘘」とか

なんかもういろいろ全く違う  「漂流街」とか「愛と誠」とか「シャイニング」とか

原作とは全然ちゃうやんけ!というのがけっこう面白いです。

原作を読んで映画もよかったというのは、最近だと「ぼぎわんが来る」です。

なんで映画化したときタイトルを「来る」にしたんでしょうか?

そんな一般動詞だと検索しても埋もれてしまいます。

「ぼぎわんが来る」で良かったのに、それか「ぼぎわん」でもよかったんじゃないでしょうか。

 

それにしても死を扱ったサスペンスでは、犯人が普通の人であればあるほど怖い気がします。

快楽殺人者よりも普通の人がなにかのきっかけでよぎる殺人の本能みたいなものが浮き出ているとめっちゃ怖かったりします。

よくいう「一番怖いのは人間だ」というよな、ありきたりですけれどもよくある感想。

 

それにしても闇サイトで依頼するとかって、足がツキそうな気がするのですが、実際犯罪の痕跡を一切残さないとかできるのでしょうか?

個人的にはネットの匿名性については懐疑的(本気で調べてば個人の特定は可能)だと思っているのです。

 

 

「普通の台所水栓をください」

お客様がいらっしゃって

「普通の台所水栓をください」と言われたときにとりあえず何をすすめるかですな。

一戸建ての住宅であれば

KM5011とかの台付1つ穴シングルレバー混合栓

賃貸の住宅であれば

KM5000とかの壁付きシングルレバー混合栓か

KM14N2とかの壁付き2ハンドル混合栓。

その人が使っている水栓金具が「その人にとっての普通」であって、本当に人によって違う。

この「普通」というのが一番厄介です。

「普通」「一般的」「常識的」このあたりのキーワードが出てきたときは、一番気をつけないといけません。

そして自分が誰かに依頼するときも「普通の」「よく売れてるやつ」「一般的なもの」というような注文の仕方をすると、かなり高確率で失敗します。

あと生きていれば失敗したり、後悔したりすることが多いのだけれども、自分自身がクレームを主張するときに

「普通はそうじゃないだろう」とか

「一般常識のないやつだなぁ」とか

「ほとんどの人がそうだろう」とか

そういう言い方をしてしまうときは、だいたい、その人が特殊な場合が多いので、自戒をこめて、そういう主張をしないように気をつけたいと思います。

 

「普通はこうだよね」と相手が言ってるときは、「自分はそのジャンルでは素人です」という告白をしているのだな、と受け止めて対応するとうまくいくような気がします。

あくまで「物知りで」「よくご存知で」とおだてつつも、プライドを傷つけることなく、打ち合わせを重ねていかないといけないので、コミュニケーションスキルが高くないと大変ですよ。

自分が依頼する側になるときは、「普通」とか「常識」を振りかざすことなく、「自分はこのジャンルについてはなにも知らないので、どうか教えて下さい」くらい謙虚に行くほうが結局はよい結果を得られるのではないかしらと考えています。

 

 

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