約束

約束とか契約とか、ウヤムヤだったり先延ばししておいたことが、いよいよごまかせなくなってきて、弾け飛んでしまうというか、そういう出来事の一つなんだろう。
そういう事象が21世紀の1/4が終わろうとしている今の時期に吹き出しているのかなと考えてみる。

ITによる情報革命でいわゆるパワーシフト(トフラーさんが言うところの)が起きていて、今はその最中なんだろうなと思う。

それにしてもトフラーさんってすごいよね、なんというか未来が見えてるって感じがする。

まぁ、それはそれとして、

不謹慎なことだとは重々承知の上だけれども

これだけ約束や信頼性をどうやって交わしていくのが正しいのかっていうとどれだけ情報をオープンにして隠し事がないようにできるのかって言うのが要点になるのだと思う。

その上で、戦場で
こういうウエラブルカメラを付けた民間傭兵部隊がYouTubeでライブ中継したりしてお金を稼ぐ、実際は稼ぐというよりか「見ることでその国を応援する」というような体で金銭の授与が生じる感じになるのかもしれない。

あとウクライナの地方にあるスーパーのサイトを見たりして、なんかできることはないかなとか考えたり、ほかもいろいろ調べると、自分の知らないことだらけで、判断することができなくてなさけなく思ったりする。

ロシアの地方都市のスーパー戦争しているふうな感じがなくて、でももしかしたら情報統制とかいろいろ空気とか雰囲気とかで情報発信ができていないだけなのかもしれないとか想像してみたりもする。

この町にある大学のVKページも見るけど更新されていないし、そろはそれで意味があるのかもしれないなーとか。

このあたりに住んでいる人は今どんなことを考えているのだろうかとか、

しょぼくても想像力を働かせて、アレコレ考えていろいろググったりDeep-L使ったりして、今の時代を俯瞰して、というかネット上の情報は全て他人の視線や考えの切り取りでしかないのだけれども、

それでもできる限り一次情報というか、そこにいる本人の言葉の一つ一つにアクセスして世界につながって行くのが、間違いが少ないのではないかとか、

そんなふうに考えているのです。

つまり、そこにいる一人ひとりと、もしかしたら確かな約束を交わすことで、いろいろな悲劇を防ぐことができるのではないかと、そんなことを思うのだ。

相手を憎んだり排斥するのではなく、ちゃんと話し合って、一人ひとりとユナイテッドして、そういう未来を作っていくのがいいのではないだろうか。

なんというか、ロシアの人を憎むのではなく、ロシアに住んでいる戦争に反対している人となんとか繋がる方法を考えて、実際につながるだけでも、違うんじゃないかなと思う。

 

汝平和を欲さば、戦への備えをせよ

見ました。
もうこれでもかってくらい人を殺していくのですけれども、ストーリー的にはとにかく、襲ってくるからぶっ殺す!

そう、自分は殺し家業から足を洗って平和に暮らしたいだけなのに、なんかよくわからない理由で殺し屋がやってくるので、仕方がないから殺っちゃうんですよ。

で、まぁ伝説の殺し屋のジョンなわけですから、かんたんにやっつけてしまうわけです。

汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」(Si vis pacem, para bellum)は、ラテン語の1700年くらい昔のことわざなんだそうた。

パラベラムというのは、戦への備えをしとこうということで、
自衛のための戦力は磨いておかんといかんよというような意味なんだろうね。

アメリカが銃社会っていうのも、根底には同じものが流れているんでしょうかね、確か拳銃の名前でピースメイカーっていうのもありましたな。

もはや隠さないほうがいいのかもしれない

先日、こどもたちと博多に行く機会がありまして、バニラカーが走っていたわけですよ。

まぁ、「あれはなんの車?」とか質問されるわけですが、
「まぁアルバイトの広告だよねぇうにゃむにゃ」というような返事を返すわけです。

それはそれでいいとして、結局、そこで親が応えなかったりごまかしたりしてもスマホでちょろっと検索したらどんなものかわかっちゃうわけですよ。

ペアレンタルコントロールとかはっきり言って意味がないですし、まぁITリテラシーのない大人の自己満足みたいなものですから、自分はほぼ子供のスマホの検索制限とかはやってなかった感じです。(時間制限はしてた)

実際、制限するよりも、そのような情報であってもアクセスするほうが最終的にはITリテラシーが高まると考えていますし、子供のうちにPCにウイルス感染させて初期化したりリブートしたりを何回も繰り返すうちに慣れていくもんだと思いますよ。

エコーチャンバーで陰謀論にハマったりとかも、中二病でムーを読んだり都市伝説にはまったり、古いですけれどもMMR的な情報ソースに早めに感染しているとなんとかQみたいなのに三十過ぎて感化されたりしないような気がするのです。

なんというか、子供のうちにMMR的なものにハマると、
「教科書に書いていることは嘘ばっかりだ!」とか
「政府の陰謀ガー」みたいなことに感心をもったりして、それについて情報を探したりするのですけれども、いろいろソースとなる大人の発言とかいろいろ比較検討してみると、なんと申しますか、底が浅い考えとか、どう考えてもムリがあるなぁと、何日・何ヶ月かすると気がつくのですよ。

なんでかっていうと並行して学校で勉強していくから、知識が正しく補正されていくのですな。テストがあるからしかたなくの場合であっても、古典的な正しいとされている知識の裏付けやなんかは、力が強いですから。

大人になって陰謀論にハマる人っていうのは、教養が浅いというか、偏っているというか、中高生のうちに教わる五教科がほぼ履修できていない。

物理や科学なんかとくに理解できていない。

「酸性とは酸化した物体の性質のことだ!」とか言っちゃうわけですよ。
「酸素を沢山吸うと身体が酸性になる」とか「酸化とは水が酸性になることだ」とかそういうことです。

陰謀論にハマる人はだいたい酸性と酸化の区別がついていない。

小中学校で陰謀論にハマったとしても、学校のテストとかで世界史とか化学とか生物とかの勉強も並行してやっていくわけですから、
で、やっぱり学校で学ぶ知識というのは正しいわけで、正しい道に戻っていくのだと思う(不登校になったりして履修されない場合、陰謀論思考が強化されることもある)

でも大人になってると、中学高校の教科書を読み返したりしない、みることすらないです。間違った知識ばかりの書籍やトンデモ本や、なんとかいう掲示板とか、アレな感じのユーチューバーとかばっかり見ちゃう。

オルタネイティブな情報しか消化しなくなってしまう。

うむ、こりゃよくないよね。

だから、十代の早いうちに陰謀論とかムー的なこととか、大人のいう「けしからん情報」にもアクセスして、

「大人ってバカだなぁ」という正しい中二病に罹患してほしいなと思うのです。

そんなわけで、この春コンピューターを手に入れた中学生高校生はペアレンタルコントロールを外してもらえるようにしましょう。

で、なんでそんなことを考えたのかというと、博多の警固公園でなんか陰謀論の方々がわちゃわちゃされていたんですけれども、だいたいがいい年齢の方々で、高校生とか中学生とかほぼいない感じだったんですよ。

そう言えば陰謀論にドハマリしている中学生とか高校生っているのかもしれないけれど、学校で浮いているというか変なやつというか、そういう扱いをされるリスクも背負っているので、大人の陰謀論者みたいな言動は抑えられたりするのかもしれないです。

それから嘘とか狂言はものすごく簡単にバレる時代にもなってます。

それなりのリテラシーがあれば嘘は嘘と見抜くことができますし、そういう嘘を見抜けるようになるためにも、はやめにネットの世界に触れるのが大事なんだなーと思うのです。

10億円をポンッと寄付する男

もし自分がものすごい大金持ちだとして、例えば10億円を寄付したとしてもそれを750万人で割ると一人あたり133円にしかならないという事実があって
それって一人にひとつじゃがりこを配ったらなくなってしまう金額なんだと考えると、寄付するよりももっと違ったお金の使いみちがあるだろうなと考えてしまう気がする。

自分がすごいビリオネアだったとして、オリガルヒだっけ?そういうお金持ちだったとして、手元に
「じゃあ、あんた自由に使える100億円あるやんけ。困ってるみんなに配ってくださいよ」
みたいなことを言われたとして、
「でも一人あたりにするとたったの1300円くらいなんだよ、そんなのもらっても嬉しくないだろう。しかも一回の振込に400円も手数料が取られるんだよ。
手数料だけで、金融機関が30億円も儲かっちゃうんだぜ!
アホくさいだろうよ」
って言い返すような気がするんだよ。

そんでもって、ものすごい大金持ちの人っていうのは、なんというか、めっちゃたくさんの人から少しずつ、それはもうメッチャ少しずつ、困らないくらいの、もしかしたら気が付かないくらいの金額をもらえるような仕組みを作っちゃってんだと思うんですよ。

一人当たり12円とか、例えば日本の場合、人間の数が1億2600万人だとして、

「毎月一人当たり8円」✕「12ヶ月」✕「1億2600万」とか
「毎日一人当たり3円」✕「365日」✕「1億2600万」とか

まぁ、全員はないにしても2000万人から集めるとか、300万人から集めるとかでも、相当な金額になるのは計算機を叩けば理解できるわけです。

軍事費とか国家予算とか何兆円みたいな世界に生きる人にとっては10億円というのは、誤差みたいなもので、1270円のA定食と1290円のB定食どっちにしよう、って考えたときの差額みたいな感覚だったりするのだろうなと思うのですよ。

そういう現実を踏まえた上で、寄付したりとかなにかできることをするとかいろいろ考えないと、なんというか世の中に流されちゃうような気がしてこわいのだ。

BCPとコロナ禍と世の中の変化をどう織り込んでいくのがいいのだろうか。

NHKのニュースサイトのまとめページを見ると2020年の1月8日がこのコロナ禍の最初の日付になっている。

コロナ禍のスタートを何日に設定するのかによって、2年以上続いているだとか、もう3年続いているだとかの若干のズレが生じてしまうのは仕方がないと思う。

この日がコロナ禍の始まりだというのを早い順番に並べると以下のようになるだろうか。

2019年10月に中国で発生しているらしいとう報告
2020年1月8日 WHOが新型ウイルスの可能性を否定できないと宣言
2020年1月14日 WHOが新型コロナウイルスを確認
2020年1月20日 WHOが「国際的な緊急事態」を宣言
2020年2月3日 乗客の感染が確認されたクルーズ船が横浜港へ
2020年2月11日 WHO 新型コロナウィルスを「COVID-19」と名付ける
2020年3月11日 WHO 「パンデミックと言える」と評価

2019年の10月から2020年の3月までだとすると約6ヶ月のズレがある。

コロナ禍がいつから始まったのかっていうときは、世間一般では3月11日のパンデミック宣言からだろうか?

だとすると、コロナな状態というのはまる二年くらい続いていることになる。

3年は続かないんじゃないかっていう予測も見られるのだけれども、どうも3年では終わりそうもない。

例えば、お気楽な海外旅行が来年の今頃できるのか?っていう話ですよ。

2019年の1月にドイツとスペインに旅行したんですけれども、そのときと同じような旅行を楽しめるようになるのはいつなんかなーと考えたときに、日本だけではなくヨーローッパや中国や他の国の防疫政策の都合もあるのだから年内は同じような旅行を楽しむというのはちょっと難しそうだ。
しかもウクライナでは戦争も始まってしまっているし「COVID-21」とか「新型インフルエンザ」だって発生するのかもしれません。

(ちなみにこちらのNHKさんのコラムは2019年5月の記事ですから彗眼ですね。)

とりあえず、今の状況が来年まで続いて、そうこうしているうちに違ったウイルスによるパンデミックが、これから先の10年間の間に2回くらい起きてしまう。というような状況になって、

海外旅行するときは
ワクチン接種義務化
出国時入国時のバイタルチェック及び生体データの提出
ウエラブルアプリでのデータと移動履歴の提出
みたいな、うへぇまじかー、昭和的な「旅の恥はかき捨て」みたいなワルイコトはもう出来ませんなぁというような、そりゃ自分の責任においてケシカランことをするのは自由ですけれども、万が一なんかの病気に発症したりすると、そういうことをしていたってことがバレバレになっちまいますぜ旦那(ウヘヘヘ)みたいな世の中になってしまい、それはそれで案外健全なのでいいのではないだろうかと思ったりもするのでした。

なんというか「清廉潔白」「品行方正」でなければ、まぁ好きなことはできませんよ、そういう世の中になってしまったのだなぁと、そういうことを受け入れるのが、案外若い人とかは平気なのかもしれないとも思ったりしているのです。

というか、今の十代二十代の人っていうのは、生体データとか位置情報の共有化みたいなことをオープンにするのって案外平気な人が多いのではないかしら。

ちなみにわしは今年55歳になるけど、そういうことをオープンにするのには、そんなに抵抗がなかったりする。

スペル

ネトフリで「スペル」を見た。

田舎ホラーと呼ばれるジャンルの映画である。
成功したあるいは幸せな人間が、田舎でひどいめにあってしまうという雛形にそったやつです。

テキサス・チェーンソー・マサカーとかバイオレンス・レイクとかサベージ・キラーとか

都会の常識が通じない田舎でトラブルに巻き込まれるというあれですね。

土着信仰とかと合わせ技で恐怖を盛り上げるタイプが多いのですけれども、そういう宗教的なことではなく、単に田舎の習慣であるとか町内会の取り決めであるとか、ちょっとした考え方の違いや優先順位の前後の違いなんかがあって、

「これだから田舎はいやなんだよ」

みたいな部分をテーマにした感じが多いです。

田舎礼賛的な主義主張がある反面、田舎には田舎のいやな部分や怖い部分もあるんですよということをホラーというエンターテイメントで昇華しているわけですよ。

現代社会だと田舎という設定を満たすためには

「携帯電話が使えない(電波が弱い)」

というただこの一点だけを満たせていれば「田舎ホラー」として成り立つようになってきた気がします。

そしてガラケーがなくなる今日、スマホが使えない=ネットが利用できない場所が、すなわち田舎ということになるわけで、

そいう言う意味では本当の田舎というのは、なくなってしまうのかもしれません。

もちろん都会に住んでいても「スマホを使いこなせていない」場合。その人は田舎者であると考えてもいいのではないかなと思ったりもします。

あとスマホが使えない職場とか、

持ち込み禁止な職場とか

そういう企業も田舎なのだ。

ましてや、会社のパソコンでネットに接続できない

なんていうのは「観念的な田舎」であると定義して間違いないのではないだろうか。

2022年3月

21世紀の四分の一が終わろうとしている。
この25年で変わったものは何なのか。
帝国の終焉と新しい帝国の発生

バーチャルな帝国としてのSNSのプラットフォームやワールドワイドのwebサービス。

帝国の終焉として、過去歴史上に現れた「帝国」がどんな歴史を辿っていったのかを学ぶこと。
オスマン帝国、ローマ帝国、ペルシャ帝国、ワッハーブ朝とか、古今東西、様々な帝国が勃興した。
気候の変動や技術革新によって変わってきた帝国の形

土器の発明や、印刷技術、もちろんITも技術革新、過去の様々な技術革新が新しい「帝国」を生み出してきた。産業革命がイギリスとかアメリカを帝国化してる。
ネット革命によって、これまでの帝国が分解されるのだけれど、それは帝国という仕組みそのものがなくなるわけではなくて、あたらしい帝国的なものが誕生するという。

そういう意味ではアップルも帝国だし、グーグルも帝国。アカウントは国民番号でありパスポートでありソーシャルナンバーなのだな。

あと地域ごとの独立とかもありかもしれん、

関西独立、大阪首都化計画とか、九州独立連邦とか、北海道樺太共和国とか、そいうククリの国家も出てくることがありうるかもしれないなぁとか、

国連加盟国数の変化とか、1990年以降にドカンと増えているけれども、そのときと同じような変化が、今後の10年で起きるかもしれない。

使っている言葉や文字、習慣や信仰が違っていると国家として一つにまとまっていると言えるのかどうかよくわかんないし。

そもそも国家に属するっていうのは、本質的にはどういうことなのかわかっているのか理解しているのかとか。

貧乏でなくて、少なくとも明日は今日よりマシか、今日と同じくらいの日常が続くんですよ。10年後の計画を立てて、その見通しが、まぁ間違いなくて、そこそこ幸せなんじゃないのかなっていう、共同幻想を持つことができないと、国家の維持というのは難しいのかもしれない。

英語のEMPIREは
「統治する(impero)こと(-ium)、統治するもの」がこの単語のコアの語源。

empire(帝国)⇒  empire(帝国)⇒  imperium(帝国、指揮権、司令部、軍事的権威、統治権)⇒  impero(指揮する、統治する、命令する)+-ium(名詞)⇒ im-(~の中に)+paro(準備する、配置する、備え付ける)⇒  pere-(もたらす)が語源。

emperor(皇帝)と同じ語源をもつ。

そもそも「統治」っていうのはどういう意味なのか、「統治される」というのはどういうことよ?っていう話もある。

あなたも私も誰かによって「統治されている」わけですよ。

統治されている自覚をもっているのかどうか?

「社会に属している」とか「統治されている」とか「支配されている」とかそういうことも文字化して考えることが大事。

 

 

先行きがわからんなぁ、物価は上がりそうだが、受注価格は応えられるのだろうか?

ロシアのウクライナへの軍事侵攻がまだ続いている。

フェイスブックがロシア国内で遮断されたり、Twitterが制限を受けたりしている模様。

国家に介入されると民間企業というのはどうしようもできあないってことだよね。

国外への連絡はできるのだから、メールで国外の人に伝えてもらいたい情報をアップしてもらうという手段もあるだろうけれども、いわゆるプラットフォームに依存しない形での情報発信というのは、まだまだ難易度が高いので、ムズイよな、なんてことを思う。

 

国連高等弁務官事務所が伝えるところでは、先月24日からこの6日までに、少なくとも市民406人が死亡し、そのうち27人は子供だったそうです。

日経平均株価は25000円を下回って、米国株も下がっている状況ですな。

Metaも187ドルとかに下がってるから、もしかしたら買い時なんかもしれない。
アマゾンも下がってるのでカイどきなのかもしれない。

ZOOMも100ドルくらいになったら買ったほうがいいかもしれない。

うーん、ゲスいなぁとか思ったりもする。

あと、ガソリンとか小麦とか物価もガンガン上がってきている。

建築現場の原材料費も上がってきているし、どうなんかねぇ、景気が悪くなりそうだなぁ。

 

 

リモートでできる仕事は全部外注できるわけで

近い未来の話として、リモートでできる仕事は全部外注化されるようになるというか、フリーランスがすっごい安い価格でオフショアからやってきて処理するみたいなことになるのだろうな。

結局現場仕事であるとか、どうしたってリモートでやるとかできないくらい、めんどくさい作業とか業務は自動化されなくて、そういう人を正規雇用していくか、一人親方化するのだろうなと考えています。

水漏れの修繕なんてリモートでするとか無理でしょう。

作業ができるドローンだとかロボットを送ったって、必要な資材もなければ作業どころではないし。あまりにも自動化するには複雑な工程ですから、XRで指示しても指示を受けた人が指示通りに作業できるのかっていうとそれも怪しいですよ。

シールテープなんか簡単そうですけれども、あれはあれで奥が深いのです。

あと、現場でのヤリトリとか依頼したり依頼されたりとか段取りをすり合わせたりとか、けっこう高度なコミュニケーションスキルも必要だったりするので、挨拶もろくにできない人とかは、結局は現場でもハブられたりするので、無茶を言ったり、自分のことしか考えていないボード屋さんとか、梁にボコボコ穴を開ける設備屋さんとか、「なんだよあいつは!」「現場監督なんとかしろよ」みたいな話を聞くたびに、なんというかDXとか言うよりも先にすることがけっこうたくさんあるのでは、なんてことを思うのであった。

 

人はメンタルが9割


たしかにそうだなーと感心するいい動画でした。

人は不安で動けなくなるというのは、マジありえる話で、「できる」と思うかあるいは「できてる」ということについては、基本的にそこに不安がないから行動に移すことができるのだなーなんてことを思った。

「やればできそう」あるいは「やろう」と人が考えるためには、不安を取り除く必要があるのだろうなと、思う。

一つの事実があって、それを不安の種と感じるかどうかは人ぞれぞれ違っていて、だれかにとってはなんでもないことでも、自分にとってはとてつもなく大きな不安であることは多くて、そのために次の行動にうつれないのであろうな。

「やればできる」っていわれても、そもそも人は不安だと動けなく鳴ってしまうのだな。

というか精神的に強くなる、メンタルを鍛える方法というのは、とにかく不安がなくなるように物事を解釈する、解釈できるようにしていく、思考する癖をつけるという、いうなれば、慣れというか、経験というか、意識的に重ねていく技術というか、そういう回数を増やしていくしかないのだろうな。

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