インターネットの戒律

これも古い本ですね、1997年の出版ですから今から23年前です。

IT関係の書籍は普通三年もすると使いみちがなくなります。出版から10年もすぎれば全く使いみちがないものがほとんどですよ。

例えば2010年に出版されたPHPの技術書は今は使えません。

いろいろな死語もあります。

例えば「ネチケット」

今、この言葉はほとんど使われません。

Google Trendsで「炎上」を検索すると、昔っから燃えてるのがわかりますし、2005年頃は炎上のことをフレームとかフレーミングとか言ってたのも懐かしいです。

2009年の2月に「炎上」というキーワードが突出しているのですが、なにかあったのかな。と思って調べてみるとこんな記事がありました。まぁそれはどうでもいいのでここでは割愛。

 

僕が自分のホームページを初めて作ったのが確か1997年

ネットにデビューして23年ですよ。

そこの大学生の君、おぢさんはね、君が生まれる前からネチズンだったんだよ。

よく「昔のネットはよかった。頭のいい人しか使っていなかったし、今みたいなバカなことする人はいなかった」というような語りをするおじさんがいます。

僕はそうは思わない。

昔から悪いやつはいたし、とんでもなくてくだらなくて意地が悪くて下品で下世話で救いのないコンテンツはいっぱいありました。

ものすごくゲスい匿名掲示板サイトとか、出会い系のなんかよくわからないBBSとか、常に炎上しているメーリングリストとか、パティオとか、

で結局なにが言いたいかというと「インターネットの戒律」はこの二十年間変わっていないということです。

原理原則は変わらないからこそ原理原則なのでしょう。

 

あと、今回のネタを書くときに「電波ニュース」とか「1ch」とか懐かしいさとともに、炎上するツイッター界隈を見ると、人は変わらないなぁというい思いをさらに強めるのでありました。

 

 

 

反ワクチン派は主流になるのだろうか?

わかりやすく噛み砕くことはいいんだけれども、そのあと日本感染症学会のサイトを実際に読む人なんてほとんどいないのだ。

物事を二分してどちらか一方を叩くという手法はわかりやすいけれども、極端に走りがちだということは心にとめておきたい。

世の中にはいろいろな立場の人がいて、守るものがいろいろある。

自分にとって大事なものが、ある人にとってはそうでもなかったり、逆にある人にとって大切なものが自分にはピンとこなかったり、そういうことは本当に多い。

学校とかお役所仕事というのは、商売と違って「リスクを取る」という発想がとれない。

「リスクを避ける」が基本だ。

なんでかっていうと「リスクを避ける」ことで価値を維持することができるけれども「リスクを取る」ことで価値を高めることができないからだ。

営利が目的じゃないからです。

だから基本的に現場の戦略としては「リスク・ゼロ」に流れがち。

「なにか問題が起きたらどうするんだ」という声に対して反論できない。

 

お役所仕事というのは自らが責任を取るのが業務ではなく「責任を取る部署を明確にする」ということです。

 

普段の公共工事にしても仕様書だの承認図だの認証証明だのミルシートだのやたらと書類を提出させるのは「責任者は誰か」を明らかにするためで、役所が責任を取るためにしているわけではありません。

ある建物の設備でなにか問題が起きたときに、その原因になるのは、故障箇所の部品を作ったメーカーなのか施工業者なのか、はたまた設計事務所が間違っていたのかを明らかにして、なにかあったらそいつに責任をとってもらう。役所は自分では責任は一切とりません、そういうのが仕事です。

短く言うと

「責任の所在を明らかにする」というのお役人さんの仕事です。

ちなみにWHOをはじめさまざまな国際機関の仕事も「責任の所在を明らかにする」ことであって「自らが責任を負う」ということはないと考えておいて間違いないです。

だから「◯◯は責任を取れ!」とか怒ってもしかたがないと思っています。

今は不確定要素が多すぎて誰も責任を取れない状態です。

そういう状況にあるときに、お役所仕事の基本的戦略は

「積極的には動かない」ということになります。

そういう時のために市長さんとか政治家の人がいるのです。

いろいろ大変だと思います。個人的には頑張ってらしゃると思います。

いろいろ世の中変わっていくのだろうなと期待しております。

 

世の中の動きを予想するときは

「こうなればいいのに」とか「こうするべきだ」みたいなことを極力排除して考えるようにしています。

大きな流れみたいなものは自分でコントロールできることではないし、自分の行動によって流れが変わるなんてことはありえないわけです。(もちろん自分が総理大臣だったり大統領だったりすれば話は別ですが、一平民ですので)

世の中の動きは川の流れですよ。コントロールはできないけれども、どういうふうに流れていくのか川がどうなるのかは俯瞰して見るしかないです。

「こうしたほうがいい」ではなく

「こうなるかもしれんから、自分はアレをやっておこう」

「もしかしたら、ああなることも考えられるから、自分はこっちへ行こう」

という感じで、自分で決められないことは「全部状況」「前提条件」として受け入れる。

そのうえで、やれることをしっかりとやっていくしかできないようねぇと諦観することしかできないです。文句をたれたり怒ったりする暇があったら、自分が何をすることが一番いいのかを考えて、実行したほうがいいです。

それにしても、世の中のいろいろな流れを見ていると、なんか揺り戻しが気になります。

コロナ騒動が収まってから、

「ロックダウンはやりすぎだった」

「コロナウイルスなんてなんてことはなかったんだ。」

「ワクチンなんか必要ない」

みたいな世の中になったりしたらどうしようかなとか思う。

杞憂に終わればいいんですけどね。

 

「accountability」と「responsibility」

「責任」ってなんだろうか?

「あの人には責任感がない」「少しは責任を感じたらどうなんだ」「ちゃんと責任とってね」なんていい方をする。

責任ってなんだろうか?

義務を果たすってこと?人にはやらなければならないものがあるらしい。

でも絶対に100%その人でなければならないことなんていうのはないのだろうなとも思う。

だから少し条件をゆるくすると、「期待に応える」ことなのかなと考えてみる。

言い換えてみる。

「あの人は期待に応えない」「少しは期待に応えたらどうなんだ」「ちゃんと期待に応えてね」

うん、意味が通じる。

他にも責任ってなにか違う言い換えの仕方があるだろうか?

「義務を果たす」「約束を守る」「契約を執行する」

「あの人は義務を果たさない」「少しは義務を果たしたらどうなんだ」「ちゃんと義務を果たしてね」

「あの人は約束を守らない」「少しは約束を守ったらどうなんだ」「ちゃんと約束を守ってね」

「あの人は契約を破る」「少しは契約を守ったらどうなんだ」「ちゃんと契約を執行してね」

うむ、それなりに意味が通じるし、不自然さはないような気がする。

ところで「責任」という言葉を英訳すると「accountability」と「responsibility」という2つの単語が出てくる。

「accountability」は「結果に対する責任がある」

「responsibility」は「行動する責任がある」という違いがある。

上のように言い換えたときに、「accountability」と「responsibility」どっちなんだろうか?みたいなことを考える。

「責任を果たす」と「責任を取る」だとどっちが「accountability」で「responsibility」なんだろうかとか、そういう違いがあるのかしらなんてことを考える。

普段使っている言葉の意味をちゃんと正しく使えているだろうか?

相手は自分と同じ定義でつかっているだろうか?

たとえば「責任」という言葉一つであっても、

「私はちゃんと責任を取る」

「あなたは無責任だ」

というような言い合いがあったときに、お互いが使っている「責任」が微妙に違っている場合がある。

一方は「契約を守っている」一方は「義務を果たしていない」という場合はどうしたって平行線のままだ。

 

実は多くの言葉はけっこう曖昧で、白黒はっきりしていないものばかりだ。

誠意とは努力とか、その人が使っている意味と、自分が受け取る意味は違うことが前提にしておいたほうがいい。

「4月の君、スピカ」

娘が見るというので、見た。

あれですな、50を過ぎてこういう映画を見ると、なんというか、人生長いのに17やそこらで、一生愛するだ、君が運命の人だみたいなノリの映画を見ても、なんといいますか青さというか浅さみたいなものしか感じることができず、

「あぁ、自分はもうあのころのトキメキを感じる資格はないのだな」と一抹の寂しさのようなものを感じるわけですよ。

若い人が妊娠したりとか、高校生でしてしまうのって、その当時は純愛みたいな感じなんですよ、それはまぁわかる、学生の頃、まぁ大学生くらいまでならなんとなく、愛してるんなら赤ちゃんで来ちゃってもOKみたいな感じはわかるんですけれど、まぁおじさんもそんな感じだったような気がするし、当時は。

でも50年くらい生きていて、結婚するまでに何人かの人と付き合ったり別れたりするのを重ねると、

なんというか、高校生くらいで「お前は俺のもんだ」とか言ってる男はなんというかガキであると、子供であるというか、その年で働いて稼いでもいないのに、そういうセリフを吐くのは、なんというか、底が浅いというか器がちっちゃいというか、器がむしろないようにしか見えない。

なんというか、若い人は、恋しないと死ぬとか、彼氏彼女がいないと不幸、とか、恋人がいない人生はありえないとか、なんというか「恋愛してる=私の人生成功」みたいな感覚があるかもしれませんけど、それ違うから、勘違いですから。

人生長いですよ。特に今十代の人は100歳まで生きるから、人生の二割も終わっていないうちに自分の人生のゴールを決めるの早すぎるから。

しかも20代までの人脈というか人間関係なんてめちゃくちゃ狭い範囲ですから、その範囲内で出会っただけで伴侶的な相手を決めるというのは、早すぎですのでなんというか、そういう恋愛至上主義的は映画はエンターテイメントにとどめておいたほうがいいのでないかとジジイは思うのであった。

それにしても福原遥さんは可愛いですな。

「羊とオオカミの恋と殺人」見落としていたので、早く見たいな。面白そう。

 

SLACKとかMicrosoft Teamsとか

いわゆるチャットツールというやつですが、うちみたいな会社で使う意味があるのかなという疑問はありますが、使ってみないとわからないというか全員にしてもらわないと意味がないのかもしれない。

いい機会だから今月に全員の端末にインストールしてどんなもんか体験してみようといろいろ準備をしております。

自分でいうのはなんか偉そうなんで恥ずかしいのですが、同世代でこのあたりの導入に抵抗がないというか、ちゃちゃっとやってしまう経営者って少ないです。

iPhoneもってるけど、ラインとモンストくらいしか使っていないとか、ラインのアカウント持ってるけど位置情報の送り方知らない、という人がほとんどだったりします。

いやー、使おうよ。便利ですよ。本当にやりようによってはお金を一円も使わなくてもそうとういろいろなことができますよ。

gmailのアカウントとか、アップルのアカウントとか、どっちもタダなんだから作りましょうよ。

って言っても、自分らの同世代とか、下手すると少し下の世代は、本当に使ってない。

今月53になりますけど、中小企業家同友会とか行っても、話合う人いないもの、やったら面白いのに、なんでしないのだろうか?

視力が落ちるからだろうか?

自分も視力が落ちてきて、ほんと最近は見えなくなってきた。

 

老眼をなんとかしてくれるのはVRのような気がするんだよね。

VRだれか一緒にしようよー。

感染注意報とか特別感染警報とか

とりあえずは5月6日まで保育園の登園を自粛してくださいというようなご案内が来まして、うちの会社でも社員2名がバッチリ対象者になっており、さてどうしたもんかいなと考えております。

とりあえずさっき(午後5時過ぎ)に聞いたので、明日はいつもどおり出社してもらえるのですが、とりあえず休業してもらってあとから、雇用調整助成金を申し込みするみたいな形になるのがいいのか、いや、そうはいっても仕事はそれなりに忙しいので休まんといてほしいなぁというのもあったり、下関はそんなに関係ないんでないの?とかも思ったりするのです。

あと5月6日とは言ってますが、なんかずるずる伸びそうな気もしますし、どうなんでしょう5月いっぱいまでは、このままなんじゃないですかね?

で、なんでこんなにあやふやなのかというか、判断に困るのかっていうと、リスクの数値化ができていないのがよくないからなんではないかと思います。

BCPで社員を休ませる場合は、例えば台風の場合は警戒レベルというのがありまして、この警戒レベルが5のときは会社は休みにしますよ、出社しないでくださいよという対応を取るようにしてます。

特別警報」命に関わる非常事態 正しく理解を|災害 その時どうする ...

で、今回のコロナ騒ぎなんですけれども、この警戒レベルというのが、日本全国いきなりレベル5で対応してくれ!というような状況になっております。実際は地域によってレベル1だったりレベル3だったりするのですが、田舎と都会では違うと思いますし、東京でも区によって市によってレベルは様々なんだと思います。

感染症は、台風や大雨と違うのだから、そういう注意報とか出せないのかというとそうでもなく、東京都ではインフルエンザの流行警報であるとか千葉県でははしかの注意報のようなお知らせが、いままでにも疾病対策課から発表されたりしています。

台風接近時における警戒警報のように、感染症に対しても「今はレベル1ですよ、注意してくださいね」とか、「レベル5ですから21日間自宅待機してください」みたいな数値化をしないことには、行動を自粛したり企業活動を停止したりするという対応が取れないのが正直なところです。

なんというか気分とか雰囲気で流されているだけだと、政策的にも有効な手法がとれないんじゃないかしら。

中央区の資料とかみるとインフルエンザの場合、警報基準値とか注意報基準値とか終息基準値とかあるので、それと同じような数値を発表してからじゃないと落ち着かないというか、ちゃんとした対応が取れないのだろうな。

とりあえず、厚生労働省の偉い人とかは、そんなことは言われなくてもわかっているでしょうから、そういうレベルというか数値化をちゃちゃっと作ってですね、ロジカルに対応が取れるようにリーダーシップを発揮していただければありがたいと思うわけです。

でもまぁ、正確な感染者数とか感染の強さとか、致死率がわからないことには、そういう数値化も難しいのだろうと思います。PCR検査とかも、そういう数値化を行うためにも数がある程度必要なのかもしれないし、その当たりもチーム化して現場の方は頑張っているのだろうと思います。保健所の人とかね。

たぶんSARSのときにある程度のたたき台は作ってたんじゃないかと思うので、現状発表しにくい空気というか雰囲気があるとは思いますが、とにかくそういう数値化したものがバーンと発表されない限り、こりゃ不景気のままだろうなと思いますので、関係者各位頑張っていただきたものです。

クレクレ星人にならないように気をつけたい

「今月は決算なので助けてください」

「数字が足らないのでなんとかしてくれませんか」

「売上ノルマがキツいので協力してください」

と仕入先の営業マンからお願いされることがよくある。

とりあえず、笑顔で「まぁいいよ」とか「わかったよ、なんか強力しよう」と答えるし、実際に注文をいれることもあるんだけど、根っこの気持ちとしては

「知らんがな」

というのが正直なところである。

仕入先やお客様とは持ちつ持たれつだから、お互いにムリを聞いたり助け合ったりすることも必要だとは思う。

けれども相手を尊重しているかどうかが大事だ。

「この前たすけてもらったから、今度はうちが助ける番ですよ」というのは、ほぼないと思ってる。

こちらが注文するときは、そういうのはほぼ期待していないです。

「助けてください、お願いします、買ってください」というような言い方のときは、お客様のことなんて1ミリも考えていない。

自分の都合を押し付けているだけなのだ。

自覚があるならまだいい。自覚があれば「買ってくれないなんてなんてひどいやつだ」なんて思ったりしない。

「かってくれないなんてひどい」っていうセリフが思い浮かぶとしたら、それは自分が都合を押し付けている証拠なのだ。

「たすけてください」「なんとかしてください」というときに、だれも助けてくれない、それは自分に責任があるのだと思って反省しなくてはいけないと思う。

というか、「困ってるんです」「マジヤバイかもしれない」というときに、周りの方から「たすけてあげるよ」「なにか力になれることない?」

そう言われるような経営をしとかないといかんのだろうなと、今まさに思う。

すっげー助けてもらってる会社と、なんかぜんぜん反応をもらえていない会社と何が違うのか、岡目八目だとよくわかる。

うちの会社は助けてもらえるだろうか?なんてことは考えるのはよそう。

なんとか自分でするからいいですよ、そういう姿勢を貫いていきたい。

心意気とか覚悟とか、そういうのは経営者だけのものなんだろうとも思う。

もちろん社員一人ひとりがそういうことに共感しているば組織としてはかなり強いのだどうと思う。

けれども、社員や取引先に対して、面と向かってそういうのは願ってはいかんのだろうな、と思う。

「助けてくれ~」「買ってくれ~」「◯◯してくれ~」とういうクレクレ星人にならないように気をつけようと思う。

現場が止まるとき

先ほど、「緊急事態宣言」に伴う当社の対応についてというニュースリリースが発表されました。

4月18日より国内の全事業所を一時的に閉鎖ということで、現場の工事も影響を受けるようです。

清水建設さんや西松建設さん大林組さん、戸田建設さんも現場が止まったりしていまして、5月の連休明けまでは工事中断になる模様です。

建築業界もコロナ禍の影響を受けざるをえないということですね。

5月6日までは休もう、そうすればなんとかなるのではないか、そしてどちらにしてもゴールデンウィークは建築現場は休みになる予定でしたから、休暇を前倒しして、なんとか乗り切ろうではないかと、そういうことなんだろうなと思います。

 

倒産とか夜逃げとか増えるのだろうなとは思いますが、どのくらいの規模になるのかは覚悟の問題。

たとえば取引先の3割の業者さんが倒産するとさすがに厳しいとは思うのですが、そこまでひどい状況にはならないのではないかなと思うのですが、どうなんだろう、そのくらい厳しいというか激流というか、とんでもない不況になってしまうのでしょうか?

それはないような気がする。

金子商会の売り上げ上位5社の工務店さんが、いっぺんに倒産するなんてことは、ないような気がする。

だからそこまで悲観はしてませんよ。

お客様ありきの商売ですから大丈夫な感じですよ。

緊急事態宣言が全国へ

緊急事態宣言全国拡大へ政府方針固めるというニュースが入ってきました。

これは来週から休業に入るパターンなのかもしれませんね。この週末から5月の連休明けなら休業もしやすいのではないか、という考えなのかもしれません。

とりあえず、うちの会社は明日は通常通り営業して週明けからは引取りのみという対応にするのがベストになるかもしれません。

まぁ状況によってはいつもどおりの営業というのもありなのですが、お客さんが仕事しなければ、弊社も営業する意味がないので、休業するかしないかは現場の動き次第です。

大手のハウスメーカーさんなんかは、休みになると思うので、下請けの業者さんもそうなったら仕事を休まずにはおけないと思います。

お客さんにもいろいろ確認してみます。

とりあえず打てる手は打っていこう。

こちらは飲食店向けの情報とうたっているけれども、どういう商売であっても基本はおなじなのである。

休みになったら本を読むのだ。映画を見るのだ。

日頃できなかったことをしよう、

とりあえず天気のいい日は庭でバーベキューをしよう。

あとZOOM飲み会というのもやってみたい。

それから証券会社は普通にやってるっぽいので、株式投資もちょろっとしよう。

5月7日まで約3週間。いろいろなことを考えて紙に書き出してみよう。

それからブログの更新とツイッターの投稿はいつもどおりに続けていこう。

SDカードには寿命がある

いろいろあったので先日監視カメラを設置しました。

なんだかんだでちゃんと設定できたのでよかったのですが、SDカードに録画しなくなってしまったので、どうしてだろうか?やっぱり初期不良なのかそれとも安物だからこんなものなのかなぁと思ったものの、いろいろ調べるとSDカードにはどうも寿命があるらしいということで、そんなこと全然知らなかったですよ。いい勉強になったなぁ。

ということは、会社のトラックにつけているドライブレコーダーのSDカードもそろそろ買い換えないといけないと言うことですね。

SDカードも容量によっての価格差なのかと思っていたのですが、そういう書き換え寿命の違いによって価格が変わってるとか知りませんでしたよ。

少なくともドライブレコーダーや監視カメラ用のSDカードは長寿命のタイプにしないと、いざというときに役に立たないということですよ。

で、自分が購入したwebカメラには一ヶ月370円からのクラウドストレージサービスがありまして、いろいろ考えるとこれを利用したほうがコスパが良さそうということで、とりあえず三ヶ月くらいやってみて、いい感じそうだったら、12ヶ月3680円というのを利用しようと思います。

会社のトラックにもすべてドライブレコーダーをつけているのですが、取り付けてからそろそろ3年ですのでSDカードを買い換えないといけませんね。

SLCかMLCのタイプが良さそうなんですけれども、メーカーがいっぱいありすぎてどこのがいいのかよくわかりません。

SLCはちと高すぎるような気がしますが、どうなんでしょうか?容量も少ないし。

 
100倍書き換えができるというのは魅力ですが、実際どのくらい違うのか。いろいろな種類を買って試してみるのがいいのかもしれないのでいろいろ注文してみようと思います。

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